~異動後にわかる、神か悪魔か~ 旧課長と旧副課長の話。
毎年4月と10月に行われる定期人事異動は、私たち事務系一般派遣社員には直前に知らされるため、オープンにになってからの数日間は多忙を極めることが多い。
自分の所属部署の社員さんが異動の対象となると、諸手続き、残務処理のお手伝いなど、あれもこれもと頼まれることが多くなる。本来決まってる業務の範囲ではないけど、頼める同僚や部下もいない人が多いのか、結局私たちにまわってくることが多い。
今回の異動では、企画課では、課長と副課長が対象となった。
すでに現在は異動されているので、旧課長と旧福課長と呼ぶことにする。
旧課長…物静かな人という印象。背が高くてしゅっとしてて、物腰もスマート。
仕事には厳しいと聞いていたけど、声を荒げたりすることはなかったと思う。有名大学を出た秀才で、本社勤務も経験している超エリートらしい。英語もペラペラ、エクセルもバリバリ、キーボードはブラインドタッチ、飲み会は電子マネーでスマート会計、すべて無駄なく合理的にやってます、って感じの、でもどこかアンドロイド的な感じ。私はあまり人間味を感じていなかった。
実際あまりお話したこともないし、好きとか嫌いとかも感じたこともない。普通に挨拶くらいはするけど、個人的にお話したことはあまりなかったんじゃないかな。
今回は別の支社に行くけど、いずれまた本社に戻るのでは、と噂されている。
どっちみちもうお会いすることはないだろうし。
課長が変わっても、私の業務にはほとんど何の影響もなさそうだし。
私の好きなこの課にも、特に影響を及ぼすことはなさそう。
そう思って、私も淡々と転出手続きをすすめた。
旧副課長…おしゃれでスポーツマンで明るい人。気さくで私にもよく話しかけてくれてたし、異動を知ったときはショックだった。
飲み会の席でご一緒することも多かったし、普段もなにげない雑談、テレビやニュース、芸能ゴシップ、社内ゴシップなど、いろんな話題で盛り上がって笑い転げたことが何度もある。他の派遣さんからも人気で、同じ部署でうらやましい、とよく言われた。
仕事ぶりは、良くも悪くも派手で目立つと聞いている。私の印象は、大きな交渉のときは電話の声が大きくて、自己アピールばればれですよ~?とちょっとハラハラしたり。
この人がいなくなったら、きっと職場は暗くなり、ちょっとつまらなくなるろうな。私も寂しさを感じるだろう。
そう思いながら、転出書類をしみじみながめた。
異動前日、課内でこじんまりとした送別会が催された。
旧課長は、管理職の送別会ののち、遅れて参加。旧副課長はなんと欠席。
自分が主役の席に欠席?仕事の都合かな?まあ、コロナの影響もあるし仕方ないかな。
でも最後送別会で会えないのはやっぱり残念に思った。
私は自分のスマホで何枚か写真を撮った。飲み会のときはいつも日記がわりに、参加者がわかるような写真を何枚か撮る。だからこの日も特に送別会の記念というつもりはなかったけど、スマホを向けると皆さんいい顔をしてくださり、いい感じの写真が撮れた。
明けて、新年度。
今日から心機一転、まあコロナ禍の中、そうすがすがしい雰囲気ではなかったけど、気持ちだけでも新鮮に、さあやるぞと、オフィスのドアをあけ、自席に向かった。
そこで私が目にしたのは…!
数々の得体のしれない雑多なものに覆いつくされた私の机。
場所的に私の席に間違いないんだけど、知らない間に席かわって、ここごみ置き場になったのかな、ぐらいの様相になっている。衝撃的な悲しさだった。
いったい誰がこんなことを。そしてなんでみんなこのままにしているのか。
これはいじめとか、いやがらせの類? なにかしたっけ?
自席の前で立ち尽くす私の前に、一人の男性社員があわられ、こう言った。
「あの、これいやがらせとかじゃないですよ。時間があるときでいいので処分お願いしますねー。」
そう言い終わると、その人はへらへら笑いながら行ってしまった。
転出していった人々が、処分に困ったものを置いていったと、そういうことらしい。
とはいえ、机の上に置く?他人の机の上に。どこかにまとめて置いておく、ならまだわかるけど。しかも、私、別に廃棄物処理係じゃないんですけど。
すごい嫌悪感しかなかったけど、仕事の邪魔になるので、まずはそれらの雑多な異物を机から撤去し、オフィスの隅っこに、山にして置いた。
それから、派遣の管理を担当する社員さんに事情を説明したところ、申し訳ないけどあなたにやってもらうしかない、と言われた。
量も多いし、年度初めの行事のため社員が手薄になっているし、それぞれの処分の仕方がよくわからなくて、一番知っているのはあなただと思うので、なんとかお願いします、って。
なんでこんなに山ほどの量になっているのかについては、私のその後の聞き込み調査の結果、だいたいわかってきた。
社内ルールでごみの分別は厳しく決まっている。回収日も決まっている。ごみの種類によっては、回収日まで各自で保管しておかなければならない。だから、不要だからって勝手に捨てることはできない。
転出者の誰かが、行き場のないごみを、私の席のごみ箱に入れた。
それを見て、またほかの誰かが私のごみ箱にごみを入れた。
そうやって私のごみ箱はいっぱいになった。
そのあとやってきた人は、私のごみ箱の脇にごみを置いた。
そしてどんどん私の席のまわりにごみが持ち込まれた。
今度は誰かが、不要な文房具を私の机の上に置いた。
こわれたもの、古いもの、戻し場所がわからないもの。
そうやって私の机の上に不用品の山が出来上がった。
同日に異動となる社員は、うちの課では2名だったが、同じフロアではもっといただろう。あの量はとても2名分の量ではない。他の部署からの不用品の持ち込み、遺棄。
不用品は、派遣の机の上に置いておけ。適当になんとかするだろう。
そんな号令を誰かがかけたのかどうかは知らないけど、誰かがやってるのを見て、右にならえで、あっという間に私の席に不用品の山ができ、転出者のデスク周りはきれいになって、後任者に明け渡された、というわけですね。
会社的にはめでたし、めでたし、か。
私は職場を愛しているけれど、私は職場には愛されてないのね…
そんな悲しい気分になりました。
しかし、正式に業務として指示された以上、私は不用品の処理を実行することにした。
湧き出てくる嫌悪感をおさえながら、まずいったい何があるのか、リストつくってやろうかと思ったけど、時間の無駄のような気がして、黙々と仕分けを始めた。
まずは、最初は持っていく気だったのかな、子袋に入れられたゼムクリップ、ダブルクリップ、ステイプラ針たち。なんでか消しゴムのカスもいっしょに入ってる。この時点で挫折するのかな、などと考えながら、袋から出し、仕分けして文房具置き場のそれぞれの場所に戻す。新品と中古が混ざったが、そんなの知らん。
それから大量のフラットファイル、クリアホルダー、チューブファイル類。
分解しようとした形跡はある。表紙に貼っていたテプラシールがなかなかはがせなくて挫折したか。きれいにはがせれば新品といっしょに混ぜて入れられたかもだけど、ちょっとでも使用感のある書類ファイリング用品は誰も使いたがらないから廃棄処分。廃棄は金具などを外して分解し、回収日まで各自保管または倉庫の奥で眠らせておくか。どっちにしても異動前日にやるにしては面倒くさいでしょう。で、私の席に不法投棄したんですね。わからなくはないです。
あと、メモ帳とかボールペンとか付箋とか、新品同様に見えるものも多数あり。持っていけばいいのに。でもよく見たら、取引先の社名が入った販促品だった。机の中に入れっぱなしで結局使わなかったのね。
通りがかりのある社員さんで欲しいという人がいたので、好きなだけお持ちいただいた。残りは派遣さんたちで分けていいよ、と言われた。
この人、私たちをなんだと思っているのかしら。
そもそもこれ全部ごみだろうが。そういう認識だったんだろうが。
でも物に罪はないので、あきらかに未使用のものは、ちゃんと文房具用品置き場の棚に入れておきましたよ。
不思議なことに、書類だけはちゃんと自分で処理していったみたいですね、皆さん。シュレッダーでばんばんかけてたものね、確かに。紙廃棄はなかったな。まあそこは派遣にはまかせられない、と思ったのかな。機密書類とかあるもんね。わからなくはないです、これも。
マウス、三角定規、フリスク缶、なにかの冊子、とにかくありとあらゆる小物たち、仕分け、振り分け、どんどん処分しました。実際、やってみるとこのくらいはなんでもなかったな、まだ。
それより大物!大物がいくつかありました。これ置いてったやつ、悪魔かよ。
私ほんとに思いました。
まず段ボールの空き箱。
それから靴類。
え?って思ったけど、ほんとに靴。
男性用の革靴、雨靴、安全靴、女性用のパンプス。
すべてはき古したやつね。ほんとは完全にアウト。職場に捨てていくなんて。
持って帰れよ、なんですよ、ほんとはね。
あと、衣類。
パーカー、ジャケット、カッパ。職場用だったんだろうけど、これも本来はお持ち帰りでしょ。
こられの処理に結局2日間かかりました。そんなにかかると思っていなかったけど、けっこう大変だった。
段ボールはつぶしすぎて爪はボロボロになるし、なんで他人のはき古した靴を私が?って思いながら、汚れを落とし、箱詰めして廃棄品回収日がくるまで保管のため倉庫へ移動。
そして、衣類。問い合わせたところ、職場で衣類の不用品は産廃扱いになるのでそのままでは捨てられないとのこと。処分する場合は、こまかく切り刻み、燃えるごみとして出して下さい、とのこと。えーーーーーーっ???っと落胆しつつ、仕方ないので、他の業務の間をぬって、ひたすらチョキチョキ切り刻みました。事務用の華奢なはさみしかなかったので、これは時間かかったなあ。
やっとのことで全ての処理を終え、私はきれいになったデスク周りを眺めながら、しばしコーヒー休憩をとろうと、コーヒーマシンでお気に入りのフレーバーを購入し、一息ついた。
でも、その時の気持ちったら、なんというか、疲労と落胆と怒りで悲しくなってしまった。なぜなら、あのたくさんあった不用品の山、の中でもひときわ存在感と異臭を放つ男性用の靴。その収納箱に書いてあった持ち主の名前、それはまぎれもなく、あの旧副課長のものだったから。
あの人が、私の席に不用品を置いていった。直接頼まれたならまだよかった。でも、私が退社してからこっそりと私の席に置いたんですね。そしてたぶんそれだけじゃないですよね。ごみ箱の中、机の上に散乱していたものの中には、普段あなたが好んで使っていた事務用品がたくさんありました。あなたに言われて購買部から調達してきたものなので、よく覚えてます。最初は気づかなかったけど、あの靴箱の名前を見つけたとき、そういえば見覚えのある小物が多いことに気づきました。
あなた一人の仕業ではないけど、最初の一人は旧副課長、あなただったのではありませんか?
その瞬間から、あなたを嫌いになりました。
そして、いろいろ思い出しました。
あなたが有給休暇を取って家族旅行に行き、観光地のお土産を持ってきたけれど、そこに私の分はなかったこと。
私が書いた電話の取次ぎメモ、渡した直後に目の前でいつも破り捨てていたこと。
社内の別のエリアやエレベータ内で会っても、他の社員さんがいるときは私を無視していたこと。
あなたとの他愛もない会話がいつもとても楽しかったので、私は気づかないふりをしていただけかもしれないけど。あなたにとってはしょせん、うまく使って利用するだけの派遣の一人、でしかなかったんですよね。
私は今そう確信しています。
新しい職場で彼は今苦戦しているらしい。派手な性格が災いし、仕事の成果が悪目立ちして、彼流の人心把握術もいっさい功を奏さず、孤立無援状態とか。
お気の毒に。私の知ったことではないけど。
ごみ処理をしながら、もう一つ気づいたことがある。
旧課長のものと思われるものが一切なかったことだ。
異動になる数日前から、旧課長は暇を見つけては書類をシュレッダーにかけていた。私のところにきて、プラスチック製品の処分の仕方など聞いて行かれたこともあった。
あの多忙な旧課長が、そういったごみ類はすべてご自分で処分していったらしい。手伝いを申し出ても、大丈夫です、と言われたそうだ。遅くまで残っていろいろ整理されていたとか。
そして、また少し思い出した。直接お仕事でかかわる立場にないので、確かに個人的に旧課長とお話したことはあまりない。
ただ、確認のためちょっとお伺いしたことに対しても、ひとつひとつ真摯にお答えくださったと思う。今思えばほんとにくだらないことを聞いたことがあった。
「旧課長、この置物、ここに置いてよいでしょうか?」
取引先の創業〇年記念の、微妙なデザインのオブジェが届けられ、どこかに飾ることになったが、課長席の脇のキャビネットの上においてよいか一応聞いてみたときのことだ。適当でいいよ、と言われるかと思ったが、旧課長は立ち上がり、そのオブジェを手に取り、しばしながめて、キャビネットの上の窓側、日当たりいい一角に置いた。
そして、両面テープで底面を固定し、場所がずれないようにと指示された。
「日当たりの角度から言って、この場所に置くのが最もきれいで、お客様の目にもつきやすいでしょう。」
まじめな顔でそう言われた。
またある時、私は差し入れのお菓子を、モンスター級に強面の部長に配布するよう言われ、つい旧課長に聞いてしまった。
「旧課長、部長にお渡しするおせんべいですが、部長は何味がお好みでしょうか?」
高級なおせんべいで、限定版でカレー味、チーズ味、が追加されていた。おせんべいは部長の好物なのだが、オーソドックスなしょうゆ味にするか、限定版のカレー味やチーズ味の方がよいのか、ほんとに悩んでしまったのだ。全種類渡すと、ほかの方の分が足りなくなるし。
「部長の好きなおせんべいの味、と。」
そうつぶやくと、旧課長はしばし思案ののち、
「しょうゆせんべいにしましょう。」
と言われた。そのうえで、カレー味のおせんべいを手に取り、
「部長が戻られてしょうゆせんべいを手にされたときに、私が、『カレー味もあるようですよ』、と声をかけてみます。これでいいでしょう。」
さすが名奉行、名裁き!と叫びたくなるような、賢いスマートなお答えでしたね。
実際は、そんなどうでもよいこと、早く終わりにしたかっただけかもしれないけど。
そんなことを思い出しながら、私は自分の席で受信メールをチェックしていた。
すると、旧課長からのメールが届いているのを見つけた。
宛先は私個人あてで、誰かのCCというわけではない。
内容は簡潔にこう書かれていた。
「先日は年度末の忙しい中、私のために時間をさいていただきありがとう。
皆さんともう少しいっしょに過ごせるかと思っておりましたが、
早めに異動となってしまいました。
送っていただいた写真、いい記念になります。
ありがとうございました。」
そうだった。送別会のとき、スマホで撮った写真を参加した人たちにメールで送っていたんだった。
私は、そのとき送ったメールを、送信済みトレイから探し出し、写真をひらいてみた。
写真の中には、お酒のグラスを掲げてポーズをとる社員さんたちの中央で、満面の笑みを浮かべる旧課長がうつっていて、その姿はなんだか神様のように神々しく見えて、なんだか泣けてきた。
もっと旧課長といろいろお話しておけばよかったなと、思った。
【契約満了まであと 524日】