派遣ライフ☆企画課日誌

派遣ですが職場愛が深すぎる私の刺激的な日常を、独自の視点でつづっています!

初公判 コイケ社員は有罪か。

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昨日は有給休暇をとって、仕事を休んだ。

この夏の猛暑で体は疲労が抜けなかったし、コロナ疲れもあったし、それに、一昨日、私は仕事中に転んで思い切りしりもちをついた関係で、体の節々が痛かったのだ。有給休暇も随分たまっていたし、思い立ったその足ですぐ休暇届けを出しに行った。

こういう時、承認をもらいに行くのは、まず派遣管理責任者の社員さんだが、その方は外出中で今日は戻らない。2番手の社員さんは?会議中。昼に戻ってまた別の会議。話しかける雰囲気ではなさそう。では、3番手の社員さんへ。それがコイケ社員。

顔が小池徹平さんに似ているので、心の中で”コイケ”といつも呼んでいる。ここでも便宜上”コイケ”と呼ぶことにする。

(お断り:小池徹平さん、ごめんなさい。かっこいい小池さんと、あの全然かっこよくない”コイケ”は全く似てないのだけれど、目元だけなぜか似ているので、ほんとに申し訳ないけれども、ご容赦ください。。。。。)

 

【休暇申請全然大丈夫事件】

コイケは同じ課の同じ班の男性社員。30歳。独身。色白小太り。

私が就業した時から同じポジションにいて、課内のこまごました事情に精通しており、私も日ごろ一番お世話になっているかもしれない社員さんだ。飲み会でいっしょになることも多いし、業務の連絡係なので、LINEもつながっている。

通常の業務上での確認事項など、よくコイケに聞いたりしているが、休暇の承認についてはコイケに権限はない。

しかし、とりあえずコイケに休みの希望だけ伝えておくことにした。何か私に依頼する予定の業務があったりすると迷惑をかけることになるので、確認しておこうと思ったのだ。

「急なんですけど、明日お休みしても大丈夫でしょうか?」

この聞き方が悪かったのかもしれないが、コイケは、

「あ、いいっすよ、全然大丈夫っすよー、まったく問題ないっすねー」

という返答だった。まあ、別にいいんですけど、「全然大丈夫」と言われるとちょっとカチンとくる。私が気にしないように優しさで言ってくれた?のかもしれないけど、優しさは別のところに使ってほしい。

この時期、急に休みたいと言ったらまず「体調でも悪いの?」、これはとにかく必ず聞かれるはずだ。体調不良であればさらに具体的な症状を聞かれる。熱は?咳は?など。

見た目が元気そうに見えたのかな?

ならしようがないけど、でも、あれは?前日私が転んだの見てたでしょう。

ちょっとよっかかった段ボール箱の山が、実はすべて空き箱で私を支える力などなく、バランスを崩した私はそのまま段ボール箱といっしょにわーっと倒れてしまった。すぐに2~3人の男性社員さんがかけつけてくれた。宿敵A男でさえ走ってきた。私は恥ずかしくてすぐに立ち上がってどこかに隠れたかったが、思い切り腰と膝をぶつけ、痛くてしばらく動けないほどだった。

幸い大したケガなどはなく、痛みもひいてきたところで立ち上がり、私がつぶしてしまった段ボール箱が気になって片づけようとしたが、まわりの方々が代わりにささっと片づけてくれ、それよりしばらく休んだ方がいい、と言ってくれて、私はとりあえず席に戻った。その時、誰が駆けつけてくれたか、ちゃんと覚えている。コイケが遠巻きに見ていたのもちゃんと見えていた。

だから、「あ、もしかして昨日転んだ時、どこかケガでもしました?」とかあってもよさそうなものだ。ところが、そのことには一切触れず。

 

そのへんまったく気がまわらなかったとしても、もうちょっとなにか言い方あるんじゃないか。「大丈夫だとは思いますけど、他の人にもきいてみましょうか。」とか、「えー?困るなあ。仕事は大丈夫だけど、さみしいなあ~」とか、「たまにはゆっくりお休みするのもいいですよね。」とか、とにかく、お前なんかいてもいなくても全然仕事に影響ないわ、という感じにならないような言い方できないかね~?

私の方がめんどくさい人間なのかもしれない、そのへん。だけど、他の派遣の人に確認してみたら、やっぱりコイケの言い方は「失礼!」とか「無神経!」とか、あまり評判がよろしくなかった。

 

そうだ。コイケは悪い人間ではないが、絶妙に無神経なのだ。デリカシーがない。

 

段ボール箱くずし拡散事件】

段ボール箱をなぎ倒して転んだあと、ほんとはまだ体が痛かったけれど、ずっと休んでもいられないし、私は仕事に戻った。ただ、転んだこと自体のショックや、恥ずかしさ、そして体に残るじーんとくる痛みなどで、まだダメージを引きづっている状態である。

コイケは、何かの書類を倉庫にしまうため、空の段ボール箱を用意しておいたようだ。(そもそもコイケがそんなとこに空箱積んどくから私が転んだんじゃないか、と後でわかった)

私が箱のいくつかをつぶしてしまったので、コイケはまた新しく段ボール箱を組み立て始めた。事情を知らない人が通りかかって、コイケに話しかける。するとコイケは正直にありのままを答える。派遣の〇〇さんが転んでつぶれてしまったので~、と。何人かの人に言ってたよね?私すぐそばにいたんで丸聞こえなんですけど。もちろんコイケも私に聞こえてることはわかっている。だから、嫌みとかいやがらせとか、そんな気持ちは全然なく、ほんとに聞かれたからありのままに答えているだけなんだろう。

そういうとこなんだよ。ちょっとは気をつかってくれてもいいと思う。

恥ずかしさが目の前で拡散されている。もう、ほんとにすぐ帰りたかったわ。

まあ、箱つぶしたのは悪かったけど。

そう思って、私はコイケのところに行った。

「すみません。私が箱をだめにしてしまったので、ご迷惑おかけしました。」

そう言うと、

「そんなことないですよ、こんなとこに置いといた自分が悪いんです。すみませんでした。」これが模範回答だろうと思うが、コイケは、

「へへーっ(笑)、ほんとそうですよー(笑)」

とこんな感じで、おなかをかかえて爆笑した。なんと無神経な男か。

 

【おばさん発言容疑】

コイケは独身なので彼女募集中を公言していた。そんなある日、抽選に当たった人しか行けない高額会費の婚活パーティーに行けることになり、コイケは数日前から浮かれまくっていた。社内の上司、同僚、後輩、顧客に至るまで、彼を知る人はこぞって応援の意思を表明した。私だって普段お世話になっている彼のことを少なからず応援する気持ちはあった。

そして、婚活パーティー当日、コイケは気合の入った勝負服で出社してきており、意気込みのほどがうかがわれ、応援隊も朝からエールを送っていた。コイケが残業にならないよう、仕事を手分けして済ませたり、ランチのメニューには、ニンニクのないものがいいよとか、ソースが飛び散らないものがいいよとか、いろいろアドバイスをしたり、みんなで協力した。普段は厳しい上司も、今日のコイケにはちょっと甘く、報告書のやり直しの期限を今週いっぱいでいいよと延期してくれた。部下の人生がかかっている大事な日となればしようがないな、と笑っていた。

夕方になり、コイケの仕事も順調に進行しており、定時あがりが確定になったころ、今夜の必勝作戦を指南する彼の先輩たちにかこまれ、コイケはニヤニヤしながら、手元のコーヒーをぐいっと飲んだ。その時、今夜出会うであろう未来の花嫁候補の顔を思い浮かべでもしていたのか、コイケの注意がマグカップからそれ、彼の白いワイシャツにコーヒーがこぼれた!

あぁっ!

そこにいた全員が叫んだ。

コイケはあわててウエットティッシュでふいたのだが、時すでに遅し、コイケの胸にはたこ焼き大の茶色いしみがくっきりできてしまった。

トイレに駆け込み、ぬれタオルでたたいたりしたらしいが、しみは完全にはとれなかった。こんな時、女性なら、しみの取り方とか知ってるんじゃないか的な目でちらっと見られたが、そんなの私は知らない、あしからず。

「今からデパート行って、新しいシャツ買ってこい!」

コイケの先輩社員が言った。しかし、コイケは、

「いや、いいっすよ、これで行きます。」

と言って、胸ポケットにタオルハンカチを折ってつめこんだ。

「汗かき男の設定でいきますわ。」

そう言って頭をかきながら笑顔をつくってみせた。

 

シャツはおろしたてに違いない。しかも高級そうな生地、コイケにとって完璧なコーデで決めてきたのだろう。なんとかコーヒーのしみをごまかしてやり過ごそうと考えたようだった。とはいえ、万全で臨むはずの大舞台にケチがついたようで、がっかりしているに違いない。気落ちした様子の彼を見て、少し気の毒になり、私は声をかけた。

「まあまあ、着てるものより、人間は中身ですよ、中身で勝負!ね?」

「しかし、第一印象は大事じゃないですかね…」

そりゃそうだよねー。ならば、

「あえて、それを売りにするっていうのは?」

「どういうことですか?」

「だから、『大事な日に、こんなしみ作っちゃいました~』的な。印象に残るんじゃないですか?その方が。そしたら、案外、『かっこつけずにありのままの自分を出している、かっこいい』とか『私がしみをとってあげたい』とか、そんな女子がきっと中にはいるんじゃないでしょうか?私だったらそう思う気がします!」

そう言った。もちろん彼を元気づけたい気持ちから出た言葉だが、言いながら、あながち間違っていないんじゃないか、ほんとに私だったらそう思うな、などと考えていた。するとコイケは、

「あー、ダメンズ好き的な?でも、それって、年上女性が年下男を見る時ですよね。自分が知りたいのは、若い女性が年上の男性を見る時に、こんなうっかりをどう思うかってことなんですよ。」

と言い放った。私は頭をすこーん!と何かで打たれたような気がするほどショックを受けた。

「なるほど、それはそうですね。失礼しました。」

それだけ言って、引き下がった。

要するに、おばさんの意見はいらん、と。そんなん聞いてないわ、と。

そういうことをコイケは言ったのだ。

確かに私は彼より年上である。セクハラとか敏感な世の中なので、さすがに「おばさん」とは一言も言わないが、明らかにおばさん扱いではないか。

そう思うのはしかたないが、それならただ受け流せばいいだけのことじゃないか。「あー、そうっすねー」といつものように。コイケもコイケで必死だったのかもしれないが、そういうとこなんだよ!ほんとに!

 

翌日の話では、会場の照明が暗めで、あまりしみは目立たず助かったと言っていた。そりゃよかったね。で、何人かの女性と連絡先を交換できたが、実はその後数か月間、みんな誘うとOKはしてくれるけど、必ず前日にキャンセルされることになる。高級レストランやお芝居のチケットの予約、キャンセルできなくて、男友達を何度もつき合わせるはめに。今時の女性はみなさんお忙しいようで、なかなかデートもままならず、と苦笑いしていたが、コイケ、それはきっとあなたが本命ではなく、キープされてるだけだからなんじゃ?とはいえ、まだ完全に切れてはいないとのことで、それはそれで頑張ってほしい。しかし、おばさん扱いの一件は忘れないからね。

 

【関係者の証言】

その他にも、コイケの無神経な行動は多々あり、眉をひそめている人は多い。

清掃中のお掃除の業者さんの持っているごみ袋に、ひょいっとごみを投げ入れる。本人はいいことをしたような顔をしているが、私は無神経で乱暴な行動に思える。紳士的ではない。

 

それから、隣の課からのタレコミ。

隣の課には大きな冷蔵庫があって、課長さん自らがジャスミン茶、アイスコーヒー、アイスティーなど、様々なドリンクを作り置きしている。もちろん自分の課内の皆さんのためだ。会社の経費ではなくポケットマネーで、皆さんでお金を出し合ったりもしている。課長さんが自分も飲みたいからいいよと、まとめて作ってくれるのだそうだ。氷もわざわざ製氷皿を買ってきて、せっせとつくっている。

そこにコイケはマイボトルを持って堂々とおもむき、勝手に冷凍庫を開けて貴重な氷をガラガラっとボトルに入れ、冷蔵庫を開けて好きなドリンクをジャーっとそそぎ、満足気に戻っていく。

最初その光景を見た派遣のT子は驚愕したそうだ。え?他の課の人がなぜ勝手に飲んでるの?わかっててやってるの?知らないでやってるの?誰かに言ったほうがいいの?どうしよう?どうしよう?

とりあえず親しい社員さんに言ったら、気が付いているけど言えずにいるそうだ。なんとなくほのめかした事はあるけど、全然察してくれないので仕方なく黙認しているとか。なんと恥ずかしい男か。

 

わが企画課でも、彼は同じような振る舞いをしていることがある。うちの課では隣の課のようにドリンクは作ってはいないが、おやつのお菓子類はつねに用意されている。これは会費制になっていて、毎月定額を集め、若手社員さんが買いに行き補充している。ただし、健康上の理由などでお菓子を食べない人もいるので会費は強制ではない。だから、課内には会費を払ってお菓子を食べている人、会費を払わずお菓子も食べない人、の2通りが存在している。みんなルールを守っている。ただ一人を除いては。コイケだ。

彼は会費を払っていないが、お菓子を食べている。

集金担当の若手社員さんに聞いたのだから間違いない。しかもお菓子の種類のリクエストまでしてくるというのだ。なんということか。なぜこれが許されているのか。

会費は毎月定額が決まっているけれど、管理職の方々などはほとんどの方が少し多めに払っている。誰に言われたわけでもないけど。なかには、会費はいつも多めに払いながら、ほとんど食べない方も。そんな中、コイケだけはいつもただで好きなだけお菓子をつまんでいるのだ。

なぜか?

若手社員さんに聞くと、最初の一回だけは払ったらしい。しかし、他の方は自分から会費を持ってきてくれるのに彼だけはそれ以来払おうとせず、若手の社員さんからしたら先輩にあたるコイケに催促もしづらく困っているそうだ。

もしかして、会費は「年会費」だと思っている?

そんなわけないだろ。

あれだけ毎日お菓子食べて、数百円で足りるわけないだろ。

コイケにしたら、上司が多めに会費を払っているのを知っているので、それでなんとか賄っているのだろうと思っているのか、会費払えと言われるまで払わないでいいか、とか、たぶんそんなに深く考えていないのだろうと思う。そこにお菓子があるから食う。たぶんそんな感じ。ああ、コイケにもうちょっと他人の目を気にする神経があったなら。後輩を慮る神経があったなら。

 

そんなコイケの無神経さは、飲み会の時に絶好調になる。

焼肉が焼けたら真っ先に箸をだす。高い肉から取る。

お刺身好きの部長に配慮して誰も手を出さないマグロの大トロも遠慮なく取る。

大皿の最後の一個は必ず彼が取る(私もよく見てるな)。

お酒が入るとさらに調子にのり、部長への忠誠心を示すためなのか、他の部の部長の悪口を言ったりする。課長があわててコイケの口をおさえる始末だ。

 

【個人情報漏洩事件】

お酒の席とはいえ、これはほんとに許せない、という事があった。

Nちゃんという新人の社員さんがいる。コイケの下について毎日頑張っている。Nちゃんから先輩としていろいろ相談も受けているようだった。Nちゃんが元気がない時期があったので仕事で何かあったのかと心配になり、コイケに聞いてみたことがあった。

するとNちゃんは今、別のグループの先輩で好きな人がいるらしく、いわゆる恋煩いらしいというのだ。立ち入ったことを聞いてしまったと思い、話を切り上げようとするとコイケは話を続けた。

Nちゃんの好きな人というのは、彼女持ちの人である。それはNちゃんもわかっているので、それ以上どうこうするつもりはない。なぜその人が気になるのかというと、昔ふられた相手に似ているから、ということらしい。その先輩はやさしいので、話をしているとその昔ふられた相手にやさしくされている気がして、心が癒される、そんな思いで毎日接しているというのである。

なんともせつない話だなあと思いつつ聞いていると、コイケは最後に、

「自分がフリーなら彼氏になってあげてもよかったんですけど、今、いますからね、そうもいかないんで。へへっ(笑)」

と言った。どういう立場で言ってるのか、Nちゃんの憧れる先輩とはヴィジュアルが全然違うだろうが!しかも、まるで彼女がいるような言い方だけど、ドタキャンしてくる婚活パーティーの人のことだろう。彼女じゃないし。

ここまでがNちゃんに関する内緒の話。私はそう思っていた。

ところがコイケは、飲み会の席でこの話をみんなの前でしたのである。しかもその席にはNちゃんの好きな先輩社員も同席していたのだ。みんなに冷やかされながらも彼はまんざらでもない顔をしていたが。そしてその日以後も、その先輩社員はNちゃんの気持ちを知りながら今まで通り優しい態度で接するのだ。そしてそれを見ている周りのほぼ全員がNちゃんの気持ちを知っているのだ。Nちゃんはコイケを信用して打ち明けたのだろうに。彼女の秘密は、飲み会で酒の肴になってしまった。

コイケの罪は重い。

 

かくいう私も被害にあっている。

ある飲み会のあと、コースの宴会料理があまりに上品すぎて量が少なく、お腹がすいた私は駅までの帰り道でつい「ラーメンでも食べて帰ろうかな」と、つぶやいてしまった。それを聞きつけ、のってきたのがコイケ。行こう行こうとノリノリで、行きつけのラーメン屋に連れていくというので、ついていき、コイケおすすめのラーメン屋さんに二人で入った。各自食券を買い、席でラーメンを待ち、出てきたラーメンをたいらげると、お店を出て別れた。大した会話もしてなかったと思う。

ラーメンは美味しかったが、コイケと二人でラーメン屋に行ったことなど、私は誰にも言わなかった。ところが数日後には課内の全員がその事実を知っていた。

「コイケとシメのラーメン、行ったんだって?」

いろんな人に言われた。

事実ではあるが、コイケがどんな言い方をしたのか、みんなおもしろおかしそうな顔で言ってくる。食いしん坊と思われたのか、ラーメン大盛にビール頼んでましたよ~、なんてコイケが盛った話をしたのか、とにかく私のイメージが「シメのラーメン行くやつ」になってしまったではないか。健康ブームの昨今、男同士でもご法度と言われているのに。コイケは女心をまったくわかっていない。こういう個人情報を躊躇せずに漏らしてしまうのだ。

 

無神経でデリカシーのない男。

彼は心臓に毛が生えているのか。どうしたらそこまで強靭な神経を保てるのか。

被害者の一人として、私に権限があるなら懲役刑に課して、心底反省してもらいたいものだ。

 

彼の神経の太さは筋金入りと思われる。見てみたいくらいだ。

しかし、少々のことでは折れないそのハートは、見習いたいと感じることも、悔しいけれど否定できない。

 

コイケと組んで準備してきた仕事があった。別の部署からの発注で、採用されれば大きな成果になるはずだった。完成間近になり、担当責任者に説明することになった。しかし、途中でプランの方向性が変更になっていたのにその連絡がうまく伝わっていなかったらしく、結局相手の担当責任者を怒らせてしまった。

「ふざけんな!こんなの使えるか!こっちも暇じゃないんだ、ばかやろう!」

こんな罵倒が聞こえてきて、心底肝が冷えた。連絡ミスはこちらに落ち度はなかったのだが、怒り心頭の担当者はそこには気づいておらず、コイケも何も弁解しなかった。仕事の苦労が報われないこと、期待に沿えなかったこと、みんなの前で怒鳴られたこと、どれをとっても、直接応対していなかった私でさえショックで震え、うちひしがれていた。お手伝いの私と違って、こっち側の担当者として頑張っていたコイケの立場ならなおさらダメージは大きいだろうと思い、その瞬間は彼を見ることもできなかったが、すっかり機嫌を損ねた大男の担当責任者が立ち上がって行こうとした時、コイケは相手に負けないほどの大きな声でこう返したのだ。

「そうですか!残念です!いい案だと思ったんですけどねえ。精一杯やりましたが。では、お疲れさまでした!」

そして大男がポカンとしてる間にすたすたと歩いて自席に戻り、私を呼んで、関連資料をシュレッダーにかけて処分するよう指示した。あてつけな態度ではなく、極めて自然な感じだったと思う。

大男が去ってから、私はコイケに、大丈夫ですか、と小声で聞いた。彼は、

「ええ、大丈夫ですよ。しかたないです、こういうのは。」

そう言って、もう次の仕事にとりかかっていた。

心折れた人が無理して頑張ってる感じではなかった。

彼は本当に大丈夫だったのだ。なぜなら、「あ、だめだ」と思った瞬間に彼はバッサリと断ち切れる。そして振り返らずに先に進む。悪あがきしたり、引きずったり、くよくよ、うじうじすることなく、気持ちいいほど、バッサリだ。

 

常にくよくよ、うじうじ、過去にひきづられがちな私には、そういう神経がない。それゆえ、生きにくいと感じることも多く、ストレスで毛も抜ける。ああいう時はほんとにコイケをうらやましく思う。私もああいう風にバッサリといってみたい。「コイケカッター」とでも名付けようか。

 

とはいえ、これでその他の罪が消えるわけでは断じてない。

しかし、彼の所業は許しがたいものがあるが、それを黙認しているまわりもまわりなのだ。なぜ彼をそのままにさせておくのだろう。いつかミーティングの議題にあげてくれないだろうか。

 

とりあえずは、彼がいなくなると、一番困るのは私なわけで、いろいろ教えてもらっていることもあるわけだし、昨日の有給休暇取得のための承認について、不在がちの上司につないでくれるなど尽力してくれたことも踏まえ、不本意ではあるが、今回は処分保留とし、今後の経過観察措置でとりあえずは手を打とうか、と思う。

 

 

【契約満了まであと 383日】

 

 

 

 

派遣と社員との間の一線を踏んで苦しんだ人の話

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派遣社員と社員さんの間には、見えない一線がある。

これは誰でもわかっていること。

どんなに仲良くなっても、社員は社員、派遣は派遣。「同期」とか「同僚」と呼ばれることはない。

どんなに優秀で仕事ができても派遣は派遣。昇進も査定も特別賞与もない。

 

でも、そんなに悪いもんじゃないと私は思っている。

それを踏まえて働いている限り、居心地のいい職場環境を維持することは可能だ。

 

最初はわかっている、みんな。そのうえで派遣の道を選んでいるのだから。

だけど、私たちも人間だし、承認欲求というものもある。仕事に達成感を感じるとうれしいし、褒められると「やったー!」って感じになるし、次はもっとこうして…!なんていう向上心だってある。

だから時々感じてしまう、

「なんであんな仕事でほめられてんの?」とか、

「あんなの誰でもできるわー」とか、

「私の方が何倍もいいものできるのになー」とか、

そんな思いにとらわれてしまわないよう、気を付けなければならない。

社員さんをうらやましがったり、対抗心を持ったりすることは、人間としてまあ当たり前のことと認識しつつ、それは心の奥の小さな泉の、奥深くに沈めておかなくてはならない。

派遣社員と社員さんの間の一線は、太く、広く、そして深~い線なのだ。

そしてその一線は、派遣社員である限りけっして変わることはない。

 

だからこそ、時々虚しさを感じることもあるだろう。

何のためにこんなことやっているんだろう、とか、自分のやっていることって、何か形に残ることあるだろうか、誰かの役にたっているだろうか、など、突然虚無感におそわれたり…。仕事ができる人ならなおさらそう感じるものなのかもしれない。

 

だがそれ以上に派遣社員を虚しくさせるもの、それは「恋愛感情」がからんできたとき。これはほんとに気を付けなければいけない。

 

半年前に突然辞めたM美さんを思い出す。

 

M美さんとは部署は違うが、共通の作業では良く顔を合わせており、そのうち帰る方向も同じであることがわかり、話も合って、自然に仲良くなった。

ランチ仲間となり、数人でいつもいっしょにお昼を食べていた。彼女の明るくて楽しい人柄は仲間内でも人気で、仕事の不満やストレスも、彼女の笑顔と豪快な笑い声で吹き飛んでしまうほどのハッピーオーラが魅力的だった。

 

私を独特のニックネームで呼び、仕事中に職場の小ネタをメールで送ってきたり、コピー機のトナーの発注忘れてた、と言ってうちの課のものを持って行ってしまったり、おテンバさんだけど、どこか憎めない、いつも元気印の女性。

 

そのM美さんが突然辞めることになった原因は、結局のところ”嫉妬心”ではなかったかと、私は思っている。

 

M美さんの職場は、こじんまりとしたアットホームな雰囲気の小さなオフィス。

当時は確か10人ちょっとしか人員のいない部署だったと思う。

職場内はみんな仲が良いことで有名だった。毎月レジャー用に積み立てをしていて、定期的に食事会やイベントを企画している。年に一回は旅行にも行っているとか。

派遣社員である彼女にもわけへだてなく声がかかり、M美さんは毎回そのイベントに参加していたという。飲み会などにいくたび、その時の写真を見せてくれたり、どんな話で盛り上がったのか、とても楽しそうに話していた。

彼女も居心地のいい職場を見つけた一人だと思っていた。

ところが実のところ、M美さんが毎回このイベントに参加するのには別の理由があった。その中に好きな人ができたからだった。

 

M美さんと話していると、毎回必ずその人の話になる。それで問いただしたところ、あっさり認めた。その男性社員、Nさんが気になっていると。

Nさんは、M美さんいわく仕事ができて優しくて、超イケメン。そして自分の一番の理解者である、というのだ。私はNさんとは話したことはないが、確かに仕事ができそう、優しそう、まあまあのイケメンではあると思う。M美さんもしゃべりたそうだったし、二人でいる時は必ず彼の話になった。

 

最初は、仕事でNさんのサポートにつくことになり、連日二人で打ち合わせを重ね、心血注いだその仕事はとてもうまくいき、彼は大きく評価されたらしい。それ以来、彼のM美さんに対する信頼は厚いものとなり、M美さんもそれに応えようとがんばってきた。M美さん曰く、彼のやりたいことは、もはや言葉を聞かなくても理解できるし、こちらの気持ちも伝わっている、その絆は他の誰よりも強い絶対的なもの、これからも彼をサポートし続け、自分の力で彼を押し上げ昇進させる、ということだった。

M美さんのNさんに対する気持ちは十分に伝わってきた。仕事面のことしか言っていなかったが、その瞳は間違いなく、恋する女性のものだった。

ただ、それって「絆」って言ってるけど、むこうも同じ気持ちなのかな。

彼女の秘めた思いなのか、妄想なのか、今一つわからない。

 

いや、その前に気になることがある。

既婚者なのだ。二人とも。お子さんもいる。

 

しかし、二人の仲がどこまでのものなのか、M美さんに確認することはできなかった。

既婚者であっても、派遣社員であっても、人を好きになることはあるだろうし、大人同士の二人を、私がとがめる気もないし、そこを踏み込んで聞くのは無粋かなと思ったのだ。

そこは、もうあまり触れずに、M美さんが楽しくお仕事できていればそれでいいかなと思うようにした。

 

彼女の様子がおかしくなったのは、今年の年明けの勤務がはじまってすぐの頃だった。

ランチのときも会話に参加せず、話しかけても上の空、スマホをにぎりしめてうつむくことが多くなった。みんなも心配していたが、何かいやなことでもあったのか、体調でもすぐれないだけなのか、とにかくしばらくそっとしておこうという方針を決めた。

だが、私には少し心当たりがあった。

去年の暮れあたり、M美さんの職場に、ある変化が起こったのだ。

 

Iさんという女性。黒髪のきれいな、デキる女風の社員さん。

理由はわからないが、しばらく休職していたIさんが復職してきたのだ。彼女の出現により、M美さんの職場の人物相関図はおおいに変化することとなった。

IさんはM美さんの意中の人Nさんの同期入社で、今の職場に異動してくる前も彼と同じ職場であり、古いつきあいらしい。Iさんが復職してきた初日、Nさんの喜びようは半端なかったそうだ。

「Iちゃん、またいっしょに働けるね。僕が全面的にサポートするからね。」

「Nくん、ありがとう。よろしくね。」

この話を私にするとき、M美さんは「トレンディドラマの第1話かよ」とつぶやいた。それがおもしろくて、つい笑ってしまったのだが、M美さんはにこりともせず真顔だった。

M美さんは休職していたIさんとは初対面だったが、最初から気に入らなかった、と言っている。特に何を言われたわけでもないが、M美さんはIさんがまぶしかったのではないかと思う。

Iさんは美人で、某国家資格を持つキャリアウーマンで、人当たりもよく感じのいい人だ。休職していなければ課長職くらいにはなっていたのではとも言われている。センスのいいブランドのスーツ、手入れの行き届いた長い髪、女性でも憧れるような存在に見えた。

一方、M美さんは、夫と2人の小学生の子供をもつ主婦で、天パーくりくりヘアがかわいいショートカット、オフィスカジュアルぎりぎりのラフなパンツスタイル。子供の世話してたらおしゃれする余裕なんかないよー、といつも笑っていたけど、そこが彼女らしい魅力の一つだと私は思っていた。

だから、Iさんと自分を比べることなどせず、ただM美さんらしく堂々としていればよかったのに、と思う。

 

Iさんが戻ってきてからのM美さんの職場では、ほぼIさん中心に仕事が組まれていったという。それにより、M美さんの出る幕はなくなってしまった。みんながIさんに注目し、自分の存在がかき消されたように感じたという。

今まであんなに仲良くやってきたのに、飲み会でもいつも大盛り上がりであんなに楽しかったのに、Iさん一人来たせいで、みんな変わってしまった、とM美さんは嘆く。

今までM美さんにまかされていた業務の重要な部分は、Iさんの担当になった。Nさんのパートナーも当然Iさんになった。

 

ある時、M美さんの職場に来客があり、M美さんはお茶の準備をしていたという。すると、Iさんがどこかからコーヒーをお盆にのせてやってきてお客様にだしたので、M美さんは準備したお茶はださずに席に戻った。その来客は部長の懇意にしている方で業界の有力者だったという。

翌日また来客があったが、退職したOBが手土産をもって立ち寄られたらしい。その時Iさんはコーヒーを持ってくることはなかったので、M美さんがお茶をだした。

どんなお客様であれ、着席して応対する場合はお茶出しをすることになっている。それは今までずっとM美さんの仕事だったのだ。しかし、Iさんが来てからというもの、部長の知人や大手企業の方など、Iさんにとって顔をつないでおきたい方や、自社の偉い方が同席するときに限り、Iさんがコーヒーをだすことがわかった。

Iさんは営業をしているのだ。自分を売り込みたい相手にコーヒーをだしがてら、ちゃっかり同席して雑談に参加したりしている。なかなかやり手らしい。M美さんはIさんをあざとい女”と呼んだ。

 

しばらくして、M美さんは同じフロアの女性社員さんから呼び出され、注意を受けたという。給湯室にM美さんの部署のものと思われるコーヒーカップのセットが置きっぱなしになっているので、すぐ片づけてほしいというのだ。その時、M美さんに頼まれ、私もいっしょに給湯室に行ってみた。すると、水切りかごの中には確かにコーヒーカップ、ソーサー等が洗ってふせられたまま山積みになっていた。何日も放置されているためか、カップの上にほこりがたまっており、使用するにはもう一度きれいに洗わないと気持ち悪い。

その様子を確認したM美さんは、そのまま給湯室を離れ、職場に戻ると言ってすたすたと歩きだした。

「私が洗ったやつじゃないから。」そう言って、M美さんは行ってしまった。

 

翌日気になって給湯室をのぞいてみたが、カップはまだそのままだった。

ほどなくしてM美さんが私のところにやってきた。やはり気になっているのだろう。

「あれ、私がやらないとだめなのかなぁ。」

私に問いかけてきた。私はなるべく軽く聞こえるように気を付けながら、

「う~ん、まあ今回は片づけといてあげたら?一回貸しってことでさ。まったくやんなっちゃうよね。うちもけっこうあるよ、やりっぱなしとか、出しっぱなしとかさ。」

というようなことを言った。

M美さんは、派遣だから、そういうのやらなきゃいけないのかなとは思う。でも、体が動かない。どうしてもあのカップをさわって洗う気になれない、と言った。

私はその頃から、M美さんの心の状態がひどく心配になっていた。笑顔も少なくなっていってたし、なにより仕事に支障をきたしだしていた。

 

Iさんとは私もすぐ挨拶する仲となり、休んでいた間にいろいろ変わったこととか教えてね、などと親し気に話しかけてきたりして気さくな社員さん風だったが、その行為自体が同じ職場の派遣社員であるM美さんをスルーしており、気のせいであってほしいと願いながらも、Iさんの悪意を感じたような気がしている。

IさんもやはりM美さんを意識していたのではないだろうか。

久々に職場に復帰したら、自分のいるべき場所に他の人がいた。しかも派遣社員だという。派遣に自分の職場をとられるわけにはいかない。自分の職場も、自分の相棒も取り戻したい、派遣なんかに大きな顔はさせない…Iさんがそんなふうに思ったとしても不思議ではない。それまでのM美さんの職場のM美さんに対する待遇は、同じ派遣仲間から見ても、そうとう高いものだったと思う。

M美ちゃんはいつも頑張ってくれてるからいいよ、と基本的に社員しか持てないデジタルIDも持っていたし、社員といっしょでないと入れない管理棟にも自分のIDで入れたし、自分名義のメールアドレスも許されていた。サーバーへのアクセス権も社員並みだったと聞いている。それらはまかされた業務上必要なものだったし、社員が承認したことであって、M美さんが不正に取得したものではないから、何も悪いことはないけど、それは奇跡的な高待遇で本来は私たちが受けられるものではなかったのだ。

Iさんからしたら、M美さんの存在はうとましいものだったに違いない。仲良くやってうまく派遣を”つかっていく”という選択肢もあっただろうが、かつての相棒を取り返すには、まずは「派遣は派遣だ」ということも思い知らせることから始めることにした、というのは私の勝手な想像に過ぎないのかもしれないが。

 

Iさんは美人だがけしてきつい感じではなく、やわらかい印象の癒し系の女性とお見受けする。だがその雰囲気とはうらはらに徹底的に私たちを”派遣扱い”する。言わなくてもわかってるのに、あえて口に出して「派遣さん」と呼ぶ。

 

「コーヒーは出しました。あとは派遣さん、片づけておいてくださいよ。洗っておいただけでもありがたく思ってほしい。本来派遣の仕事なんじゃないの?」

 

給湯室の山積みのコーヒーカップは、Iさんのそんなメッセージだ。それを感じ取ったからこそM美さんはコーヒーカップをさわることができなかった。

 

数日たってもあいかわらず給湯室のコーヒーカップはそのままで、M美さんが、またこないだの社員さんに呼び出されるんじゃないかと私は内心ヒヤヒヤしていた。

M美さんが無理だったら、私が洗って持って行ってあげるから、とM美さんに言いに行こうかと思っているとお昼休憩のチャイムがなり、休憩室に行くとちょうどM美さんもやってきたところだった。彼女の深刻そうな顔に不安がよぎり、コーヒーカップの件を切り出そうとすると、彼女から話し出した。

 

放置されたコーヒーカップの件を、職場の上司であるT室長に報告したらしい。

勝手に自分でコーヒーを出しておきながら、後片付けは途中で放棄し、結果、給湯室の利用者に迷惑をかけているIさんのおかげで自分が非難され、大変迷惑している。それ以外にも、普段からIさんは自分の頼んだ用事を最優先にするよう強要してくるし、取り扱いのない備品を調達するよう頼まれたり、なにか嫌がらせをされているように感じる。このままだと業務を継続するのは難しい、なんとかしてほしい…。

彼女は必死に訴えた。悩んだ挙句の決断だった。しかし、自分をかわいがってくれていたT室長ならきっと何か対処してくれるはず、例えばIさんをどこかに転属させるとか。そんなかすかな期待をもって、なんとか我慢して仕事するわーと、M美さんは小さく笑った。

 

M美さんの気持ちはよくわかる。楽しかったころがあるだけに、あの頃に戻りたいと願う気持ちは強いだろう。だが、どう考えてもM美さんの希望はかないそうにない。今までよくしてもらったと感謝しつつ、表面上だけでもIさんをたてて、派遣としての自分の居場所を維持することはできなかったか。そんなに簡単に退職をほのめかすようなことを上長に言うなんて、やはりその時のM美さんはどうかしていたとしか思えない。

 

Iさんがあきらかな悪意を持ってM美さんに嫌がらせをしていたとしても、それを訴える時には、私たちはそうとう注意しなければならない。会社側はそんなこと簡単に認めないし認めたくないのだ。確たる証拠がないと、単なる派遣社員の不平不満、愚痴、行き過ぎれば誹謗中傷ととらえられることになってしまう危険性があるのだ。

 

少し前からNさんが自分を避けるようになった、とM美さんは続けた。気のせいではないかと私は言ったが、間違いないと彼女は言った。それもIさんが来てからだから、自分が邪魔なのかもしれないけど、私そんなに迷惑かけてるのかね…、M美さんの表情は苦しげにみえた。

 

数日たったある日、M美さんが午後半休をとって早退したと聞いた。体調でもくずしたのかと、携帯にメールしてみた。そうすると意外な答えがかえってきた。

 

「今夜、時間あったら飲みにいかない?」

 

体調が悪いわけではなかったのねと少し安堵し、たまにはM美さんも憂さ晴らししたいのだろうと、お付き合いすることにした。

M美さんが予約しておいてくれた居酒屋でおちあうと、適当に何品か注文し、愚痴なら聞くよ、という体制を整えて、彼女の言葉を待った。

数分前まで笑顔を見せていたので私は油断してしまっていた。まさか彼女が急に泣き出すとは想像していなかったのだ。

 

M美さんの話によると、今朝出社すると机の上に「新しい席次表」という紙が1枚置いてあって、出社したら新しい席へ順次移動するようにとの簡単な指示が書いてあったという。ちょうど業務の切れ目できりがいいので、新しいグループ編成にするとのことだった。そして彼女にとって最悪の回答がそこにあった。

今までオフィス内のセンターにあったM美さんの席は、入り口付近の端っこの席に変更となっており、隣も向かい側も空席となっていた。彼女は完全にはじき出され、孤立した席に追いやられることになったのだ。代わってセンター付近に陣取ることになったのは、言うまでもないIさん。その隣にはNさん。

その時の彼女の失望感ははかりしれない。想像するだけでも胸が痛くなる。

 

M美さんは仕方なく机の中を整理し、端っこの席へと移動した。みじめな気持ちだったという。でも、途中からはもう何も考えず黙々と移動作業に徹し、それが終わると通常業務を開始したそうだ。

そうして半日過ぎお昼休憩間近になったとき、社員さんたちがきゃっきゃっと楽しげに話しているのが聞こえた。なんとなく聞き流しているうちに彼女は愕然とした。

待ち合わせ場所の相談をしている。

今度の週末、みんなで地ビールのおいしいお店で食事会をするらしいのだ。定例のイベント。しかし、M美さんは呼ばれていなかった。今まで毎回声かけてくれていたのに、それすら私を入れてくれないのか。どうしようもなく悲しくなり、M美さんはとっさにNさんに助けを求めた。


Nさん、なんとか言って。

M美さんを忘れてない?いつもどおり彼女も誘おうよ。

そう言ってほしかったM美さんは振り返り、Nさんを探した。Nさんは、その時Iさんの隣にいて、現地への行き方を説明していた。Nさんを見つめるM美さんの視線にようやくNさんは気づいたが、その瞬間表情を曇らせ、目をそらした、という。

 

終わった。

 

M美さんはそう思ったそうだ。

Nさんと心を通わせてきたあの日々はなんだったのか。

何のためにあんなに頑張ってきたのか。

こんなみじめな思いをするためじゃない。

違う、おかしい。それもこれもあの女、Iが来てから、全てがおかしくなった。

あの女のせいで、私は地獄に落ちる。

 

もうとてもその場にいるのは耐えがたくなり、逃げるように職場を後にしたのだそうだ。

 

そこまで一気に言うと、M美さんは大きなため息をつき、こぼれる涙をぬぐって、今度は一点を見つめてぶつぶつと小さな声で、呪いのような言葉、Iさんの悪口をつぶやき続けた。最後にいきなり声をあげて笑ったかと思うと、

「あの女にね、一つだけ勝ってるとこあるよ。私の方がいい大学でてるんだ!」

 

その時すでにM美さんは、治療が必要なくらい精神的に衰弱していたと思う。

食事もあまり取れなくなっていて、げっそりとやつれてしまっていた。

 

その日以降、M美さんは遅刻、早退、欠勤が目立つようになった。

Iさんはときどき私の課にきては必要な事務用品をいくつか物色したあと私に言った。

「うちの派遣、最近欠勤が多いのよね。いい加減にしてもらわないとほんと困るわ。」

M美さんを非難しつつ、私の反応をうかがっているようでもあった。M美さんから私が何か事情を聞いているとふんだのだろう。しかし、私はそんな素振りは見せず、

「そうですよねー。具合悪いんですかねー。」

と相づちをうつにとどめた。

 

朝、通勤中の電車の中で、M美さんからメールが届くことが何回かあった。

 

「途中まで来たけど、やっぱり無理っぽいので今日は出社せずに帰ります。」

 

「会社の前までが限界やー。今日も無理。帰ります。弁当ムダやったー。」

 

私は「承知しました、お大事にね」とだけ返信した。

 

しばらくして久々にM美さんと会社でランチをとる機会があった。

この頃、誰かれかまわずにIさんの悪口を言うM美さんにへきえきしていた派遣仲間たちは、M美さんがお弁当もって休憩室に入るのを見つけると、外に食べに行ってしまうようになっていた。その日も私とM美さんの二人でお弁当を食べることになった。

 

M美さんは心療内科を受診したらしい。病名がわかったよ、と言った。

適応障害

ここ最近の自分の行動や言動、そして会社に来るのが苦痛を伴う現象。

彼女自身も、自分はおかしくなってしまったのかと不安になり、受診を決めたそうだ。

病院に行ったということは、自覚症状があるわけだし、治したいという気持ちもあるということだ。私は安堵した。お薬で治る苦しみなら、早く治療を始めた方がいい。

 

社員なんて、1年くらいすればまた転勤でどこかへ行ってしまう。

すぐにメンバーが入れ替わる。少しの間の辛抱。

M美さんが治療で良くなって、またいっしょに笑い転げながらお弁当食べられる日が来ると、その時は思っていた。

 

しかし、M美さんはもう会社でフルタイム過ごすことはできなくなり、半日いただけでめまいや吐き気におそわれるようになったという。治療しているとはいえ、心の問題はそう簡単に治ってはくれないようだ。

そして数日続けて休んだあと、晴れやかな顔で出勤してきて、派遣仲間のいる職場をめぐり、「私今日で辞めまーす!じゃねー!」と手を振ると、質問も受け付けず去っていったそうだ。

私物をまとめ終わってエレベーターホールに向かうM美さんをやっとのことで呼び止めた。

「辞めるって?」

 

「うん。辞めることに決まったわ。お世話になりました!」

 

そう言うとM美さんはエレベータに向かった。一刻も早く会社から出たい、ということらしい。

ただ会社から出さえすれば、体調が悪いということもなく、家では子供たちと元気に遊んでいるという。ごはんとかは全然大丈夫なので、また行こうね!と言って、彼女は今度は本当にエレベータに乗って、降りて行ってしまった。

その時以来、M美さんとは会っていない。

しかし、一度だけメールで連絡がきた。

 

「例のコーヒーカップ、職場の棚に戻しておきました。丸一日、漂白剤つけたけどね(笑)。いろいろお騒がせ、すみませんでしたー!」

 

彼女らしい絵文字の多い文面だった。少しは元気がでてきたようだ。

例のコーヒーカップは、再三注意されたので、そのままにもできず、M美さんが給湯室からは撤去させていた。ゴム手袋をしてカップをごみ用のポリ袋でぐるぐる巻きにし、倉庫の片隅に置いておいたらしい。

その後どうするつもりなのか気にはなっていたが、辞める前にもう一度洗って、食器棚に戻しておいたようだ。その時には、もう辞めることを決めていたのだろう。

 

M美さんが辞めてしまったことは非常に残念に思ったが、全面的に彼女の肩を持つというわけではない。NさんやIさんのことは、だいたいがM美さんからしか聞いていない情報なので、どこまでが真実なのかはわからないし、心身にダメージを受けたM美さんには心底同情するが、そうなった原因はM美さん側にもあると思っている。酷な言い方かもしれないが。

 

Nさんへの気持ちが悪いと言っているのではない。既婚者であっても、異性に惹かれることはある。社内で密かに思いを寄せる人がいたって、そのくらいは別に自由でいいだろう。

NさんがどういうつもりでM美さんに接していたのかはよくわからない。M美さんの気持ちを知っていながら、有能な彼女を利用した、とも思える。M美さんをその気にさせるような態度をとっていたのかもしれない。でもそんな男はたくさんいる。

だからこそ、私たちは気を付けなければいけないのだ。M美さんもわかっていたはず。

純粋にNさんとの恋愛を楽しむつもりなら、仕事をからめるべきではなかった。仕事は仕事、と割り切ってほしかった。これだけしたんだから見返りがあるはず、なんて思うことは正しいとは思えない。私たちは仕事に見返りを求めてはいけないのでは?期待なんて無意味だ。私たちがいただけるのは、時間給だけ。

ましてや社員と張り合おうとするなんて。勝てると思うなんて。

 

会社からすれば、同じ社員のIさんに対して、できる限りの配慮をしただけだと思う。上司にはIさんの復職を根付かせる責任があるだろうし、同僚の社員たちも同じ会社の社員として当然Iさんをサポートする。社員を差し置いて派遣社員を優位に扱うなんてあろうわけがない。M美さん、わかっていたはずだ。頭のいいあなたなら。

 

M美さんがいなくなってからしばらくして、彼女の代わりに新しい派遣さんが入ってきた。毎日きちっと拭き掃除をし、来客にお茶をだし、湯飲み茶わんをきれいに洗って食器棚に整頓して置いている。Iさんがコーヒーを出すこともなくなったようだ。

 

ある日、女子トイレでIさんとたまたまあった時、M美さんのことを聞かれた。

彼女どうしてるの?って。私は連絡とってないので、と答えた。

辞めた理由について何か聞いているかとも聞かれた。私は、はっきりとは聞いてないんですけどね…と含みをもった言い方をわざとしてしまった。少し意地悪だっただろうか。

Iさんは、M美さんが自分のせいで辞めたのかどうか気になっているのだ。それを気にするということは、何かしらの心当たりがあるということなのだろう。

 

ほんとは同じ人間なんだ、みんな。社員とか派遣とかの前にね。

みんな不安で、つい自分の持ち札を確認してしまう。

どっちが優位か。自分の武器は何か。

仕事の能力だって不確かなもので、あの社員とあの派遣社員との違いは、正直、背負ってる会社の看板だけ、だったりすることもある。でもそれが大事なんだろうね。

 

 

派遣社員は、社員とは違うからこそ、職場の中でも自分の聖域で仕事ができる、と私は思っている。「ラインが違う」、「チャンネルが違う」、そんなふうに表現する人もいる。

現場によって違いはあるだろうけど、多くの事務系派遣社員が受け持つのは、誰でもできるようルーティン化された、システム化された、範囲の決まったお仕事。

 

そうでなくてはおかしいでしょう。入社試験も受けていない人間を社内に入れて仕事まかせるんだから、普通の社員さんと同じ仕事ってことはないでしょう。専門職の人なら話は別だけど。

それでも、いい加減に無責任にやるってことはないし、決められた範囲内の業務をきっちりこなしていくのが派遣道だと思っている(ちょっとえらそう…)。

もちろん派遣社員としての評価、期待される成果はあるだろうけれど、それは社員さんのものとはまったく違う別次元のものだ。

 

派遣と社員との間の見えないけれど、太く、広く、そして深~い一線。

私はそれを越えないように、線の向こう側をときおり眺めながらも、けっして踏まないように気を付けて歩いている。

 

 

【契約満了まであと 400日】

 

 

 

お盆期間に出勤してきたのは宿敵A男!

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私は特に予定がない限り、お盆の時期は休まない。休みたくない。
だって、電車やバスはすいてるし、社内も出勤者が少ないので閑散としていて静かだし、電話も鳴らない。来客もない。急な用事を頼まれることもない。
なにもこの時とばかりにさぼってやろう!とか、事務用品・消耗品の類を拝借してやろう!とか、部長の椅子に座ってやろう!とか、そんな事を思っているわけではない。
自分の仕事に集中できる、そんな環境が一日続く、それだけで素晴らしいではないか。
おまけに複合機の使用順番待ちなし、社食も貸し切り状態、トイレも常に占有可。
そんなのは年に数回あるかないか。


社員さんは、なるべく有給休暇を取るように指示されてるので、お盆と年末年始はだいたいお休み。休まない人は上司に文句言われるくらい。
ただ私たち派遣社員は、そこらへんは自由なのです、この職場では。
社員の指示が必要な端末オペレーターさんや、出入りが厳しく制限されている機密エリア担当の派遣さんはお休みだけど、一般事務職の派遣社員は休んでも出勤してもどっちでもいいらしい。社員さんほど有休そんなにないしね。ここで使い切ったら後がつらいから、って出勤してくる派遣さんもいる。有休はないけど、家族と過ごすために欠勤扱いで休む人もいる。どっちでも自由だ。


でも私は、有休あるけども、喜んでお盆期間に出社している。貴重な職場パラダイスを味わうためだ。
いつもは重いシステムも混雑なしで軽くなるだろうし、きっとサクサク仕事がはかどって、たまってたやつを一掃できるだろう。時間が余ったら、気になってたあの新しいソフトをいろいろ検証して、日々の業務の効率化を目指す、とか、ごちゃごちゃのキャビネット内の備品に番号つけて順に並べてみる、とか、ついでに、ずっと気になってた課長の席の後ろの棚のほこりをサーっとふいちゃうとか。
そんなプランをいろいろ立てながら、ウキウキ気分で職場に向かった。

 

トールサイズのカフェオレ片手に、いつもどおりにオフィスに入っていくと、人影はないがすでにエアコンがガンガンきいていて、複合機があわただしく書類のコピーを吐き出していた。


いやな予感。いやな予感。超いやな予感。


オフィス内を見渡すと、書庫キャビネットが開いていて、扉の陰に見慣れたシルエットが…、A男だった!
横から私を見ている人がいたなら、私の首がガクッと前に倒れ、あごが胸にくっつくくらいうなだれたのがはっきりとわかっただろう。


A男、私の宿敵のような男。彼が出社していたとは。
結婚2年目の奥さんがいると聞いている。奥さんとゆっくり自宅でアマゾンプライムのビデオでも見て過ごせばいいじゃないか。なんで出てきてるのか。

A男は、この職場で唯一私が”DNAレベルで合わない”と感じている社員である。
彼は、私が派遣社員としてこの職場で働き始めたその同じ日に、別の部署から異動で転入してきた。長身に角刈り、細い目で銀縁眼鏡、なぜか赤い鼻の頭、肩を揺らす独特の歩き方、表面をなぞっただけでも奇跡的に私の好みの真逆をいっている。しかし、これは私の好みの問題であって、彼に非があるわけではないが。


私が鳥肌がたつほど嫌悪するのは、むしろその内面の方。
彼は絶対的派遣づかい荒い系社員。派遣をこき使うことが仕事ができる社員と信じ、派遣を見つけたら何か仕事を言いつける、言いつけないではいられない、そんな体質なのか、今や派遣仲間の間でも悪名高い。

私が就業したその初日から、A男は私に雑用を頼みまくってきた。
これを元の場所に戻しておいて、これを〇〇さんに渡してきて、このペンの替え芯探しておいて…のようなレベルのことまで、ひっきりなしに。

私も初日なんですけど。元の場所とか、〇〇さんがどこにいるのか、というより顔も知らないし。
というか、まだ女子トイレがどこかもわからないうちから、この男は私にいろいろ用事を頼んできた。おかげで、引き継ぎのため居残っていた前任者とコンタクトできる貴重な時間の大半が消えてしまった。当時は、社員さんからの頼まれごとは全て最優先と思っていたので、しょうもない用事か、大事な用事かも判断できず、ただひたすら言われたとおりに動いていた。


忘れもしない、その初日があと30分で終わるという時刻、私はA男に呼ばれ、わけも分からずついていくと自販機コーナーの前でA男がたちどまった。
「なんでも好きなもの選んで」
自販機にお金を入れると、A男はそう言った。
いろいろ頼んでしまったからそのお礼に飲み物をおごってくれる、というのだ。
けっこうです、と一度は辞退したが、まあまあとA男が私を引き止め、引きつるような笑顔を見せてせまりくるので、私も断り切れず、ドリンクをひとつ選んでボタンを押した。
その瞬間ギロッと私を鋭い視線で見ると、
「俺はね…」
A男がしゃべりだした。


「俺はね、前は設計の方にいてさ、企画なんてはじめてなんだよね。わかる?けっこう大変なのよ。わからないと思うけどさ。異動って言われたのもついこないだでさ、進行中の仕事、全部後輩に引き継いできたんだよね。だから、ここでゼロからはじめないといけないわけ。それなのにさ、明日からもう企画会議でろって言うし。企画なにか考えとけってさ。来週はいきなり出張だし、そっちの準備もあるっていうのに。まったくひどいだろ?」


知らんけど。
そんなもんじゃないの?会社なんてさ。異動したら覚えることたくさんあるんだから、そりゃ会議も出張もあるだろうさ。知らんけど。で、何?

 

「だからさ、いろいろご協力願いたいんだよね。」

 

あー、それ言いたかったのね。
大変な俺のためにいろいろ雑用やってくれよ、と。

もちろん私も仕事しにきてるので、雑用だろうとなんだろうとやりますよ。
ただし、あなたの専属雑用係ではございません!

…ん?

あ、それでドリンクおごった?これ飲んだんだからやれって?

 

「これからもいろいろ頼むと思うけどさ。前の部署の派遣さんにもいろいろやってもらってたしね。」

 

ふさけんじゃないよ。もう。
飲んじゃったやんかー。もう。

いや、こんなことで懐柔されませんよ。
一日目とはいえ、彼のあくの強さにへきえきしていた私。
もういい加減開放されたいと思い、退散することにした。

「そうですか。ではそろそろ時間なので失礼します。ドリンク、ごちそうさまでした。」
そう言って頭を下げると、回れ右して職場に向かって一目散に歩き出した。
背後から、
「明日もよろしくね!」
と叫ぶA男の声が聞こえたが、振り向かずにオフィスに戻った。

それからというもの、こちらの都合も関係なしに、A男は本当にいろいろ雑用を頼んでくる。そして、けっこう神経質で、細かい指示を出してくる。
社内資料のタイトルページにインデックスで見出しをつける時、ミリ単位でもずれていたらやりなおしさせられる。けっこう苦手なのだ。そういう作業。どう頑張ってもちょっとはズレるもんでしょ、手動なんだから。いや、神業的にうまい人もいると思うけど。
あと二穴パンチの切れ具合が悪いから直しといてって言われたけど、刃が交換できないタイプですって言っても、何とかしろって感じで。もう買い換えたら?くらいしか浮かばないんですけどね。

 

仕事の内容はともかく、まあ、こんなことは他の人でも頼んでくることある。
しかしA男はゴリ押し、無茶ぶり、丸投げ的な依頼が多く、それは限りある私の時間を非常に消費する。完成イメージと期日だけ言われて、なんとかしといて、と言う。
本来社員さんが私たちに頼む仕事は、判断が伴うようなことはないはずなんだ。やり方、環境は社員さんが考えて用意する。作業の指示をし、私たちは手順通りに実行する。私たちは責任もとれる立場にないし、権限もないし。


ただ、A男の頼んでくる内容は、どうやってやるかを考え、備品を調達し、関係部署の承認をとるところも全てやれという指示になっていることが多い。それは本来派遣社員に頼む仕事ではなく、同僚か後輩に頼むべき仕事だろう。


同僚か後輩。
A男にはまだいなかった。この課にやってきて、いきなりいろんなことを担当させられ彼の頭はもうパンパンだったのかもしれない。相談できる同僚も、頼れる後輩もいなかった。
いるのは、指示だけしてくる上司と、彼の転属を快く思わないライバルたち。弱みを見せたくない相手ばかりだ。とりあえず、味方はいなくても、なんでも頼める派遣だけは確保しておこう…なんて、実際、彼がそう思ったかどうかは知らないが…。

そう想像すれば、若干気の毒に思える面もあり、出来る限りのことは本来の業務に差し障りのない範囲で協力しようと思った。

 

しかし、私が最も虫唾が走るのは、私を使う時と、私に用事のない時との彼の振る舞いの落差だ。
用事がない時、彼は私と一切言葉を交わさない。
挨拶もしないし、電話を取り次いでも黙って受話器をとるだけ。
お菓子をすすめても拒否するし、回覧を持って行っても無反応。
帰りのエレベーターで二人きりになった時など、黙って扉を見つめて気が付かないふりをする。


飲み会で隣の席にされたときは最悪だった。
さすがに何か話さなければと思ったのか、話題をふってきたけれど、私の地元をどこか別のところと勘違いしていて、まったくぴんと来ない話をえんえんと聞かされた。向こうもそもそも私に興味がないからどうでもよかったのだろう。


そうだ、彼は私に興味がない。私も感じている。彼にまったく興味がない。
仕事なしのプライベートな会話なんて何も浮かんでこないし、なにげない雑談でも仕事のスイッチを2段階くらい強く押し込まないと何の言葉も出てこない。

合わない人、というのはこういう人だと思う。
どこをどう切っても、煮ても焼いても食えない。
まさにDNAレベルだ。どうしようもない致命的なそりの悪さをお互い感じているのだ。

 

私の管理担当の社員さんに一度相談したことがある。
その時A男が私に命じていたのは、ソフトが入ったCDとはがきサイズの小冊子とUSBキー。このセットがぴったり収まる収納ファイルを用意しろ、というもの。市販のものでは存在しなかった。そうしたら、作って、と言ってきたのだ。私は試行錯誤を重ね、そのうち苦し紛れに、透明クリアファイルをカッターで裁断し、2つ穴をあけ、CDセットを入れたのち、リングファイルに収納するという方法で、手作り感満載のものをやっとの思いで仕上げた。しかし、おかげで私のメールの受信トレイには、作業進捗伺いや催促のメールがものすごい勢いでたまっており、その日は返信するだけでやっとだった。翌日ぎりぎりでなんとか他のお仕事も完了できたが、その様子を知ってか知らずかA男はまた何か頼もうと、私の手が空くのを待っているようだった。

 

なんなの、この人。普段は一切無視しておきながら、仕事を頼みたいときだけめちゃめちゃグイグイ来る。イライラが限界まで達し、私はたまっていた思いをその時ぶちまけてしまった。

 

だまって私の話を聞いていたその社員さんは、私がひととおり話し終わると、


「A男さんとあなたは、どこか似ているんですよね。」


と言った。私は耳を疑った。
本来、社員に対する不満を社員に言うのはご法度だろうと思う。しかし、他の業務に支障をきたす、という理由で私は打ち明けたのだが、ついつい悪口っぽくなってしまったようでこれはいけない、と思った。しかし、その「似ている」という言葉を聞いて、またひどく反応してしまった。


「え?どこがですか?ぜんぜん似てませんよ!真逆です!真逆!」

 

「まじめでこだわりが強くて、どこか不器用、ね?思い当たるところ、あるでしょう。」

 

えーっ?とまったく同意できない気がしたのだが、この社員さんには深い信頼を寄せており、うーん、と考える素振りはして見せた。
その社員さんは、とはいえ、他の業務に差し障りがあるのは良くないので、A男にそれとなく伝え、対処しますと約束してくれた。
席を立ちかけた時、その社員さんは私がA男に言われて作ったそのCDセット収納ファイルを見て、


「素晴らしい出来じゃないですか。あなたとA男さんが組むと最強ですね。」
と言って笑った。


その、因縁の相手A男が、お盆期間の誰もいないはずのオフィスになぜか、いたのだ。


「おはようございます。お疲れ様です。」


一応声をかけた。なんでいるんだよ、という気持ちは顔に出ていたかもしれない。
A男は、一瞬私の方に顔を向けたが「…ざっす。」という挨拶かどうか聞き取れないような声を発した。完全無視ではないが愛想もない態度。とりあえず、今日は私に用事はないとみてよいだろう。
そう思い席についたが、A男が私に用事があろうとなかろうと、やっぱり不快なものは不快なのである。

 

A男は私の隣の席なのだ。

 

しばらくすると、コピーした資料を仕分けし終わったA男が席に戻ってきて、メールチェックなどをはじめた。
だだっ広いがらんとしたオフィスに、よりによって隣同士の席の二人が出社。笑える。最悪だ。
お盆に出勤する、この点だけは確かに「似ている」らしい。

 

A男も居心地が悪いのだろう。しばらくすると、席をたち、またなにやらコピーを取り出した。


コピー?
それこそ派遣社員に頼んで、もう帰ったらいいんじゃ?
なぜそこは頼まないのか?
お盆にわざわざ出てきて書類のコピーするか。
なにか家にいられない事情でも?

まあ、別に興味ないのでけっこうですが。

 

夏の強い陽射しが差し込む静かなオフィスで、冷め切ったカフェオレに口をつけることも忘れ、私はただひたすらデータ入力に没頭し、なんとか長い一日をやり過ごした。

 

お盆明けに聞いた話だが、例の社員さんが上長にうまく言ってくれたらしく、A男に個人的に注意したわけではないが、課内の全社員さんに、派遣社員を私物化しない!のようなお達しがあったらしい。私とA男の件以外にも、派遣社員に個人的なおつかいを頼んだり、子供の宿題を頼めないかと言う依頼をされた、のような事例が他の事業所であったらしく、それも含めて全体への注意となったとのこと。派遣社員になんでも頼んでいいということではない、という注意を受け、何かしらA男の胸に響いたのか、お盆明けに使う会議の資料をひとりせっせとコピーしていたというわけだ。

 

それ以来今日までのところ、A男から無茶な仕事の依頼はなく、相変わらず隣の席だが、うまく視線が合わないよう、立つタイミングが合わないよう、どちらからともなくある意味ソーシャルディスタンスを保つ習慣が身についていて、そんなに気に障ることもなく過ごしている。


以前、A男が元いた部署の派遣さんに仕事を頼みに行って断られて帰ってきた、という話を聞いた。私だけでは追い付かず、古巣の派遣さんにも頼んでいたのかと、呆れる思いだった。さすがに異動したあとまで面倒はみきれない、とあっさり断られたらしいが、その時A男は、


「使えない派遣は、速攻”切る”、しかないね。」


と言って、まわりの失笑をかっていたらしい。おまえにそんな権限はないわ、と他の派遣さんが怒っていた。
負け惜しみか、照れ隠しかわからないけど、この人はこんな発言をいとわず言う人なので、私としてはもう慣れてはいる。理解や共感は一切ないが。

 

ただ、この絶対的派遣づかい荒い系社員のA男も、愛すべき企画課の一員。
何かお仕事の依頼があれば規定の範囲内でお手伝いすることは当然、と覚悟しております。


ただ、もうドリンクおごる的なことはけっこうですので。
お互い無理せずやりましょう、A男さん。

 

 

【契約満了まであと 407日】

 

 

 

 

 

 

 

職場の愛すべきモンスター

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私がなぜこの職場を愛するのか。

 

…なんて、正直自分でも不思議に思う。

 

オフィスがおしゃれ?

→とんでもない!若干古めかしい、生活感あふれる平凡オフィス。

 

仕事にやりがいが?

→仕事自体にやりがいは、ないなぁ。スキルもそんなにいらないしね。

 

お時給がいい?

→まさかまさか。時給は、中の中。もうちょっと上がればなあ。

 

逆にいやなとこある?

→ある。フロアの床清掃、今年から入らないらしい。掃除してほしい。

 あと、トイレの流すボタンが壁についているやつで、超かたい。

 それから、半休認められないの、どうして?

 IDカードの氏名がテプラなのよね、派遣だけ。はがれてきちゃったし。

 ある女性社員さんの香水がキツイ。マジで。

 

ははっ、なんかたくさん浮かんでくる。確かに、確かにね。不満はあります。

でも、それでもこの現場、まだ続けたいんだ。

この現場にかかわっていられることが、喜びであり誇りになる。そう思える職場だから。

 

企画課…名前の通り、ここではいろんなプランが生まれ、大きなものに創り上げられていく。ここに在籍する社員さんは全員、プロの技術者。どんな難題もチームが一丸となってクリアしていく。

一人ひとり専門の担当分野があって、企画案件によりチームが編成される。

いったんチームの仕事がはじまったら、普段仲の悪い同期の二人も、眠そうなあの人も、いがみあってる人も、ライバル同士も、ベテランも若手も、ほんとにOneTeamになって、最高のパフォーマンスをみせてくれる。

その過程をそばで見ていられるのはなんと素敵なことだろう。ほんとに心から思う。

働いている時の皆さん、とてもかっこいいと思う。

例えば、なにかトラブルが起こった連絡があった時なんて、それまで雑談してたメンバーがパッと立ち上がって、チームリーダーのもとに集結。若手が状況報告、ベテランが補足説明、情報共有、チームリーダーの指示で方向性決定、それぞれの持ち場に戻り、スピーディに対処、対処、対処、そして完了報告。終了。チームリーダーは上着を脱いでいすにかけ、喫煙所へ一服しに向かう。

はぁ~、かっこいい~、と密かにおもいながら、私は私がせめてできるコピー取りやら電話応対などをせっせとこなすのである。

 

そう、私はここの人たちの才能とパワーに惹かれているのだと思う。

金太郎飴のひとかけらのような、世間並みの平凡な自分、歩いてきた道も無難で平凡。

そんな自分がはじめて目の当たりにした本当のプロの人たちの仕事現場。

 

その人たちと自分との間には、目には見えないけど高い一線がある。

同じ職場にいるけど、まったく違う次元にいるようだ。隣で同じ社内誌を読んで笑っていても、私とその人たちの行く先はまったく違っている。

だからこそ、たまたま出会えた期間限定のこの現場が私は愛おしくてたまらない。

 

この現場のために、私はできる限りのことをしよう。

部内で、いや社内で一番快適な居心地のいい職場にしたい。

この素敵な職場のまま、守っていきたい。

 

などと、少々おおげさな言い回しだが、わりとまじめに、そして勝手に思っている。

 

だからこそ、この現場を乱す輩は許せないのである。

H主任。この人は階級は平社員らしいが、かなりのベテランさんである。

地方の営業所時代はそれなりの役職だったのに、何か理由があり、今は上級平社員。

その理由はわからないけど、顔も広いし、普段のふるまいから、課長レベルの役職経験者かな、という気はする。

このH主任がかなりの曲者で、ルーティンワークで安定走行している私の時間を、いつも突然叩き壊すように割り込んで入ってくるのがこの人なのである。

 

まず声がでかい。体もでかいし、態度もでかい。

自分の希望が最優先で、なにか思いついたら、会議中でも休憩中でもかまわず後輩社員を呼びつける。

脇に立たせて、長いお説教からの過去の武勇伝を話す。

定時退社の若手をエレベーターホールで待ち伏せ、「飲みに行くぞ!」と無理やり連れ出す。

口癖は、「なにぃ~っ?」「だろ?だろ?だから言っただろ?」「だめだめ!」「オレ、知らねえからなっ」…などなど。これをフロア中に聞こえるような大声で叫ぶ。

後輩社員からは、”今時貴重な昭和パワハラおやじ”、と呼ばれている。

ご本人は課の中の、ハラスメント相談窓口担当なので笑える。

 

派遣社員の私とて、例外なく被害にあっている。

とにかく細かいことやめんどくさいことが出来ない方で、その都度私を呼びつける。

シャーペンの芯が入れられない、テプラのカートリッジが変えられない、コピー機のトナーがきれた、プリントした書類が見つからない…のような時はパニックになって大騒ぎする。そんな時、代わりにやってさしあげることは何でもない、そのくらいは。ただ、いちいち大声で呼ばないでほしい。奥さんでもお母さんでもないんだから。

仕事の指示も中途半端であいまいでほんとわかりにくい。言ってない事を言ったつもりで、忘れてるよ!と怒鳴られたことが何度あることか。冤罪だ。

別にいそぎでもないのに、何か頼むときは必ず「大至急」と言う。”大至急”仕上げて持っていくと、机の上に半日放置してからやっと手に取る。

 

そんな昭和を絵に描いたようなおじさんことH主任は、意外にかわいいもの好きだ。

私物のカップスマホケース、椅子に敷く座布団などキャラクターものが多い。でも、それらを「かわいいですね」と言わないと機嫌が悪くなるのでいちいちめんどくさい。

こないだなんか、女性用のようなマスクをずっとつけていて、そのくせ「耳が痛い」、と言われるので、「ゴムをのばしてゆるめるか、大きめマスクにしたらいかがですか?」と答えたら、

「なにー?誰の顔が大きいって?おい、みんな、おれの顔が大きいって言われた!」

と、大騒ぎ。わざとふざけてるだけなのはわかるけど、なんかめんどくさい人だな、とうんざり。そしてH主任はさらに私に対して「今の発言はパワハラじゃね?」と言ってきた。もう意味がわからない。立場が違うでしょ?ありえないよ。

H主任いわく、私がH主任とのやりとりで、パワハラを受けたような態度をとっていることが逆パワハラだというのだ。今のやりとりでどこをどうしたらそうなるのかまったくわからなかったが、たぶんこれはH主任がただ「逆パワハラ」という言葉を言いたかっただけだな、と理解した。

あぜんとしている私を見てなぜかH主任は、うれしそうにきゃっきゃっ笑っていた。

もう、ほんと、なんなの、この人。

 

なんでこんな人が企画課に?と思った。

自分は中心人物のようにふるまっているけど、まわりからはそう思われていないんじゃ?

もちろん仕事の能力はある人なんだろう。課長からも一目おかれてはいる。

だけど、この人がいるだけで、職場の雰囲気がちょっと違うんだ。ちょっとリラックスできないような。急に何いわれるかわからないから、なんとなくみんな戦闘態勢一歩手前の雰囲気。この人が大騒ぎしだすと、やれやれと動き出す役の人と、名前呼ばれるまでは気づかないふりをする人にわかれる。みんなちょっと苦手なんだ、やっぱり。その証拠に、この人が席をはずすと、とたんに和やかムードになる。

 

まさにモンスター級の”昭和パワハラおやじ”じゃないか!

そして無類のスイーツ好き。…なんだそれ。

 

でもこれはほんとの話で、出社してから帰るまで、常に自席にお菓子を置いている。どうも机の引き出しの中にお菓子大袋本体があるらしい。ちょこちょこ引き出し開けてはお菓子を口に放り込んでいる。

いただきもののお菓子がある時にも、私が配ってまわるのを待てないようで、いつもフライングでお菓子を物色にくる。

たまたまH主任が外出している時に来客があって、その場にいる人だけでお土産のお菓子をわけてしまったことがあったが、彼が帰ってきてそれがばれてしまった後、その日はもう大変だった。おれの分がない!と言ってすねてしまって、また大騒ぎ。まだ食べていなかった人が「よかったらどうぞ」と気を使ってお菓子を渡したが、「もういい!」と言ってどこかに行ってしまい、しばらく席をはずしたままだった。その後ころっと機嫌よくなって戻ってきたが、別の部署の同僚のところに行ったら同じお菓子があって、2~3個残っていたらしい。その場でひとつ食べ、2つはもらってポケットに入れてきた、そう言って大笑い!

ああ…、もしかしてこの人、ただの子供?

 

そんなH主任が特に目をかけている若手男性社員がいる。若手といっても入社10年目なのだが、愛想だけはいいけど、どこかまだ学生気分が抜けないようなDさん。

担当は違うのだが、暇があるとH主任はDさんのところに行き、雑談したり、たまに仕事の出来を見てあげたり、なにかと面倒をみている。

つい先日のことだが、H主任が外回りからもどって自席につくと、H主任の隣のKさんの机の上に書類封筒が置いてあるのを見つけた。H主任はだまってその書類封筒を凝視していた。そのうちKさんが戻ってきて書類封筒に気づき、手に取って開けようとした。

私はたまたまH主任の席の近くにいたのだが、H主任はKさんに「ちょっと待って」と言うと、急に私の方を向いて「これ書いたの誰?」と言い、書類封筒を指さした。

H主任の言いたいことはすぐにわかった。その書類封筒の表面にボールペンでなにか書き込みがあった。それはKさんにあてた連絡メモのようなものだった。

「14:30にE社のS様よりTELありました。折り返し連絡ほしいそうです。」

 

私は、その書類封筒が宅配便で送られてきたもので、それを受け取ったのがDさんであることを知っていたし、そこに書いてあるメモの文字がDさんのものであることもわかっていたので、その旨H主任に伝えた。おそらく言うまでもなくH主任もわかっていたようだ。

H主任は例によって大声でDさんの名前を呼んだ。ペットボトルのお茶をごくごく飲んでいたDさんは、あわてて立ち上がり、H主任のもとへ駆けつけた。

 

「はい!なんでしょうか?」

 

「なんでしょうか、じゃないよ、おまえ!なんだこれは?」

H主任は、書類封筒の上に直接書かれたメモを指さしDさんに怒鳴った。いつもに比べたらそんなに大きい声ではない。でも、真剣に言っていることは伝わってきた。

 

「おれの言っている意味、わからねえのか?おまえ、なんでこういうものに直接書くんだよ?」

 

Dさんは額から大粒の汗を流しながら必死に考えている様子だったが、なぜH主任がこんなに怒っているのか、残念ながら本当にわからないらしい。

 

「なんでって、え、と。まずかったですかね?どうせ書類封筒あけたら捨てるものだから、書いてもいいと思ったんですけど。」

 

H主任とDさんの間でKさんが気まずそうにしながら、

「H主任、いいですよ、別に…。」

と言った。H主任は、

「よくねえよ。ごめんな、悪いけど、こいつ何もわかってないから。」

そう言うと、Dさんにゆっくりと説明しだした。

 

「いいか、これはお客様からKさんに届いた大事な書類が入っているんだ。そのうえにおまえが何か直接書き込むなんて、誰にとっても失礼な話なんだよ。

封筒あけたら捨てるって誰が決めた?おまえが勝手に思っただけだろ。

これはお客様とKさんのものだろ?

あるいは、もしこれが受け取れない書類なら?このままKさんが返送するかもしれないだろ。その時こんな封筒で送れるか?」

 

Dさんはようやく理解したようで、申し訳ありませんでした、と頭を下げた。

最後にH主任が、「書類は書類、メモはメモ、別々に渡せ。わかったな!」といつもの調子で言い、Dさんの肩をバンっとたたいた。お説教終わりの合図だ。

 

私はそっと自席に戻っていたが、会話はずっと聞こえていた。

まわりの社員さんたちも気にしていたようだったが、誰も何も言わなかった。

Dさんが席に戻り、KさんはE社に電話をかけた。

 

その後給湯室で洗い物をしていると、H主任が前を通りかかった。

私に気づくと、立ち止まり、独り言のようにつぶやきだした。

「今の若い人らは、わからないのかねえ、おれらのころはあんなこと常識だったんだけどね。誰も言ってやる人がいないから、わからないのかね…。」

 

そうですね…と小さくうなづきながら続けていると、H主任はへへっと笑い、

「こまかいこと言うおやじだと思うでしょ?実際大したことじゃないんだけどね。でも、おれが言わないとさあ、誰も言わないしさ、あいつらもわからないでしょ。」

 

ん? あいつら?

「Dも、Kもね。」

そうか。Dさんにだけじゃなくて、Kさんにあてたメッセージでもあったんだ。

非常識なことをする若手と、それを注意しない先輩。

それをH主任は見過ごせなかった。こうやってちゃんと教えてやるんだよ、ばかみたいなことでもさ、と。

 

「がはははっ!」

H主任は急に大声で笑うと、さあ、今日は誰を連れて飲みに行くかな~、と言いながら大股で歩いて行ってしまった。

 

なるほどねー。うん。なるほど、ね。この人ほんとモンスターだわ。

そう思った。

おそらく、このような方が必要なんでしょう。受け入れることにします、私も。

でも、モンスター枠は、ひとつで十分ですので。

 

その日、誰がモンスターの餌食になったのかはわからないけど、翌朝も彼は上機嫌で出社し、全員が挨拶を返すまで事務所内を歩き回るという彼のルーティンワークを、いつものようにたっぷりと時間をかけて行っていた。

 

やっぱりこの職場おもしろい。

 

 

【契約満了まであと 484日】

 

 

 

 

  

結論:無駄な仕事はあっても、無意味な仕事はない!

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コロナ禍にあって、今年に限っては5月の連休は”ゴールデンウィーク”ではなく、”ステイホーム週間”などと呼ばれ、観光旅行やイベントもないため、連休明けのお土産話、日焼け自慢、渋滞自慢、家庭サービス自慢、お土産実物など、なにもなく、静かに日常が始まっただけだった。

例年と違うのは、この時期になっても、全員がマスク着用でいること。でも、それにももう慣れてしまった。

 

連休が明けたとはいえ、社員の1/3はテレワーク、有休消化で不在のため、オフィスは閑散としている。3密回避のため、会議予定もキャンセルされているので、管理職の方々もけっこう有休消化に励んでいる人が多い。

 

そんな中、私たち派遣スタッフにもついにテレワークが認められた。

テレワークといっても、私たちはPC機器の持ち帰りは許可されておらず、セキュリティ確保が難しいことから自宅から会社用クラウドへのアクセスも許可されず、結局は実質ただの自宅待機。普通のお休みと違うのは、外出せず自宅で待機していなくてはならない、ということ。とはいえ、監視も報告義務もないので、お給料もらってお休みしてるのと同じ。

 

まあ、こんな時ですから、どこかへ遊びにいってやろうとも思いません。まじめにひたすらステイホームに専念します。

 

この措置は一時的なもので、いつまでも続くというわけではなさそう。

そりゃそうよね、これじゃ派遣雇ってる意味ないもんね。出社して”なんぼ”の派遣社員ですから。”派遣切り”、”契約解除”…私たちをびびらせる不穏なワードが世間を飛び交う中、太っ腹な会社方針のおかげで、職もお給料も現状維持で、ありがたく思います。

 

週に何日かは出社するけど、出勤日には仕事がたんまりたまっていた。自分の仕事プラス社員さんからの依頼業務が、ふせんに書き込まれて、所狭しとデスクいっぱいに貼られていたりする。

終業時間までに全部できるのか…?不安な気持ちもある。

仕事時間減ってるんだから、同じ仕事量できないんじゃない?

今までの2~3日分を1日でやれってことだもんね?

 

でも、断りたくないじゃないですか。これは私の性分なんだけど。

なるべく断りたくない。なんとかミッション完了させていきたい。

そうしないと、寝る前に頭の中に浮かんできて、できなかった原因と対策を延々考えてしまう→眠れない、みたいなことになるし。

 

だから、スピードあげて、効率重視でやるようにした。

メールちょこちょこ確認してたけど、それはやめて時間決めてまとめてチェック。自分に関係のあるやつかどうかだけ確認する、とか。

電話鳴ってても、出られないときは無理して出ない、とか。

あと、ほんとに出来そうにないものは、期限を交渉して先延ばしにしてもらう、とか。

こんな時だからか、それでダメって言う人はいなかった。出来るときでいいから、って言われて。でも、次回は来週の半ばまで来ないからけっこう先になりますけど、というやりとりなどして。

 

そんなこんなで、仕事としては調整はしたけど、お断りはせずに、なんとかこなせていけた。ただ、昼休み、終業時、ものすごいくたくたになる。消耗する。けっこう動く仕事もあるからね。上の階行くのエレベーター待ってられないから階段で行き来したり、倉庫に資料取りに行くだけでも、倉庫のカギは〇〇部の主任さんが持ってる、倉庫は〇〇階にある、みたいなことで移動距離が多い…。合間合間におつかいのような仕事も頼まれるから、可能な限り小走りで移動。

 

ある昼休み、休憩室で、例によってくたびれて、お弁当ひろげる気力もなく、とりあえず水分補給だけしてぼーっとしてた時のこと。普段外に食べにいく何人かのグループがコンビニで買ったお弁当を持ってやってきて、同じ場所で食べることになった。

そして、そのうちの一人が言った。

「なんか、忙しそうだね。」

 

彼女は1年ほど前に入ってきた派遣のT子で、わりと私と持ち場が近く、お互いの仕事ぶりはなんとなくわかる。

 

「うん。でも、みんな忙しいでしょ?」

と、笑って答えたら、

 

「えー?どうしてー?」

って、何人かが声を合わせて聞いてきた。

 

「だって、自宅待機してる間の仕事たまってるから、やってもやっても終わらないよー?」

と私はわざと泣きそうな声を出して訴えかけた。

だけど、やっぱり反応は微妙で、クスクス笑う人と、大丈夫?みたいな顔する人の2種類になっているのが見て取れた。

 

私そんなにおかしいこと言ってるのかな?みんな同じ感じだろうと思ってたんだけど。

 

「みんなは忙しくないの?仕事たまってない?」

私は問いかけてみた。忙しくないというなら、逆にその理由を知りたいし。

 

「忙しくはないよ。”無駄な仕事”はやらないから。」

クスクス笑うグループの一人が言った。

はて、”無駄な仕事”ってなんだろう。それはまだわからなかったけど、なんでクスクス笑っているのかはだいたいわかった。要はただ単に私が要領が悪いだけ、と言いたいのだろう。

 

彼女たちの理論はわかる。

時給生活の私たちにとって、成果をあげるとか、結果を出すとか、そんなことは何の意味もなさない。給料もあがらないし、ボーナス査定も関係ないし、左遷もない。

契約期間、無断欠勤などせず、普通に出社さえしていればクビになることはまずない。

時間通りに出社して、時間になったら帰る。

ならば、勤務時間内をいかにラクして過ごすか、そう考えるのは当然のこと。

 

この考え方が正しいとか、正しくないとか、私にはわからない。

ある意味そういうものかもしれない、と思うこともあるし、こう思ってると思われているのかな、と思うこともある。

理解できなくはない。

 

でも、私はそんな感覚はまだ自分の中に持っていない。悪いけど。

仕事は一生懸命やるもので、ベストパフォーマンスで捧げるもの。

(もちろん時給は変わらないけど。)

それは社員だろうと、派遣社員だろうと同じ。

 

これは、ただかっこいいこと言いたいってわけじゃなくて、

本来怠け者の自分との闘いでもあるし、いい結果がでれば自分も満足するし、”ありがとう”なんて言ってもらえなくても、頼まれた仕事をやり遂げた、それだけで満足できる。おいしいお酒が飲めて、よく眠れるので、全然いい。

 

そんな私の考えに興味を持つ人はいなさそうだったから言うこともなかった。たぶん彼女たちの目には私は、社員の点数を稼ごうとしてる人、に見えてるんだろう。

みんなはお弁当を食べだし、話題は変わって。最近営業部に配属されてきたイケメン新入社員の話を始めた。

そんな中、T子だけは、私を心配してくれているようだった。

なんでも仕事受けちゃってない?無理しない方がいいよ、と。

気遣ってくれるのはありがたい、素直にお礼を言った。

 

するとその時、古株のY子が社食から戻ってきた。マイボトルだけ持って、みんなとお茶しに来たのだ。Y子は古株だけど、最近まわりの社員さんが編成替えでがらっと変わってしまったため、なじみの方々がいなくなり、古株の特権を発揮できないでいるらしい。

 

T子がY子に私のことを話した。

「忙しいんだって。大変よねぇ。」

Y子はゆっくり私に視線をうつし、しばらく思案するような表情のまま固まっていた。

Y子は普段は言葉少なだが、いったんスイッチが入ると止まらないタイプ。そして私に対しては必ず学校の先生が生徒に話すように話す。

そして攻撃は始まった、いや、彼女は話しだした。

 

「無駄な仕事をしちゃってるからじゃない?」

彼女の分析によると、私が忙しいのは私が無駄な仕事をしているから、らしい。

また出てきた”無駄な仕事”。

 

彼女の長々とした話からわかったのは、私が忙しい理由は前述のとおりで、とにかく仕事メニューのすべてをこなし、さらに飛び込みの仕事も全部対応してるから、と。

そしてなぜ彼女たちが忙しくないのかといえば、

 1)急な仕事は断っているから

 2)終わらない仕事は中断しているから

 3)しないことにした仕事があるから

集約すると上記の3点のようである。

 

彼女たちの言い分としては、勤務時間が減っているので、1)と2)については、上記のような業務体制になります、と上長に報告しているらしい。だから、新しく仕事が増えることはないし、終わらくてもそのまま帰る(報告だけはちゃんとしていることを願う)。

3)について、どういうことかY子に聞いた。

彼女は本来仕事ができて、物知りで、探求心も旺盛で、PCの新しい操作もすぐ覚えるし、社内の情報に関しても精通している。そのへんは社員さんよりも社員ぽい人である。本人もそれを自覚しているようだけど。

もとい、「しないことにした仕事がある」とはどういうことなのか、そんなこと勝手にできるのか、についてY子に聞いた。すると、彼女は次のようなことを話した。

 

コロナ禍で、社内の会議やイベントスケジュールがいったん白紙になり、彼女の部署は一時的にとても暇になったことがあった。その際、空いた時間で自分の仕事をいろいろ見直してみた。すると、”無駄な仕事”がけっこうあったというのだ。

毎月固定になっている仕事で、前任者から引き継いでやっているものの、何に使用されるのかわからない資料、データの作成、スクラップ整理、記事検索、データベースの更新、帳票のファイリング。

 

これらを一時的にストップしてみた。

1ヶ月たった。

 

誰も何も言ってこなかった。誰も困っている様子はなかった。

 

それで、これは”無駄な仕事”だったと判明した。

だからもう私はやらない。意味がないから。誰も見てないし、必要としていない。

ゴミみたいな作業をやる必要はない。

 

何か社員が言ってきたら、それらよりもっとクリエイティブな仕事を提案してやらせてもらうつもり。だからそれまでは、会社に出勤はするけど、ゆっくりさせてもらう。

 

以上がY子のトーク内容。

 

どなたか共感される方はいるだろうか。

 

私は、思考回路が違うのか、まったく共感できず、目が???になっているのをY子に気づかれないようにする方に必死だった。

 

彼女が派遣社員ではなく、嘱託のベテラン社員さんだったなら、こういう意見もありかなとは思うけど。そういえばY子が個人的に、なんというかスポンサー契約を結んでいる元上長の男性は定年間際のベテランさんだった。その方に見込まれて、社員並みのずいぶん高度なお仕事をまかされたらしい。彼女の誇りだ。それで彼女の意識も一線を越え、社員さんサイドに行ってしまったのか?

 

私たちは最初から派遣社員だったのではない。

ほとんどの人が、社員としてのキャリアを積んだうえで派遣社員となっている。

でも、派遣社員として働くということは、スキルはキープしても、社員であった頃の意識は一回すべてクリアにしていかないといけない。そうでないと派遣社員として生きていけない、と私は思っている。少なくとも、その体(てい)で行かないと、消せない社員経験や意識は自分の足かせになる。

どんな有名企業にいようと、大手でキャリアを積もうと、派遣社員として働く現場では、社員の目で意見を求められることはまずない。そんなことは求められていない。

 

そんなことしようものなら、立場をわきまえろ、と痛い目にあうのである。

決められている仕事を勝手にやめることも同じで、派遣社員として、あってはいけない事だと思う。ただ、彼女の今回の話を聞いても、私が特に口を出すことはない。放っておく。これはY子とY子の職場の間の話だからである。Y子の仕事をちゃんと管理できていない社員にも責任があると思えるし。そんなこと言わせちゃいかんのよ、Y子さんにね。

 

”無駄な仕事”を排除し、晴れて暇になったY子。

さて、そもそも派遣社員の仕事を決めるのは誰だろうか?

私はその時、私たちの仕事を決めるのは社員(会社)であり、私たちは勝手にやめたり、拒むことはできない、と思った。

 

しかし、私は少し間違っていたようだ。

私たちの仕事を決めるのが社員なら、社員さんが言うことはなんでも服従!になってしまう。派遣にはなんでもやらせてよし!になってしまう。

そうではなく、私たちの仕事は”契約”によって決められているのだ。

あらかじめ決められた”契約”の内容に沿った仕事および付随業務を、ルール通りにやっていく。

”契約”にない仕事はしないし、してはいけない。

追加の仕事があるときは”契約”に即しているか検討し、協議の上双方合意ならやってもいいだろう。一方的に、これをやれ!とか、致しません!とか、そういう関係ではない。

 

とはいえ、全ての業務、細かいことまですべて”契約”に記載することはできない。だから私たち(派遣社員)は社員(会社)さんとの信頼関係が大事であり、常日頃の仕事や行動、コミュニケーションで信頼を築き上げていくことが重要だと思っている。

派遣としての時給アップや延命(契約更新)のためではなく、自分自身が納得のいく仕事をするためである。

 

Y子とはその後あまり話す機会がなく、あのやめてしまったという仕事がどうなったか、わからないままである。彼女の職場の人とうまくやっているのかどうかもわからない。

そういえば、少し前、見慣れない社員数名の方がきて、シャーペンの芯の予備があったら分けてほしいとか、バイク便の手配方法を教えてほしいとか、差し込み印刷ってどうやるのか教えてほしい、などと言われたことがある。

同じ課の社員さんに間に入ってもらい許可を得て、全てに対応した。最後にサインをもらう書類の記入で、Y子の部署の方たちだとわかった。その日Y子は出社している。本来ならY子に頼むべき内容だろうが、もしかして、職場の中で”仕事を頼めない派遣さん”、になってしまったのか。

頼んでも嫌な顔されるからもうあの派遣さんには頼みたくない、とか、雑用はやってくれない派遣がいる、などと社員さんが言っているのを聞くことがある。だからって時給は減らないけど、勤務拘束時間から固定の仕事、社員さんからの頼まれ仕事、などがなくなると暇になるけど、”つまらない時間”になってしまうのではないかな、とY子が少し気の毒に思えた。

 

ところで”無駄な仕事”ってなんだろう。本当にそういうものはあるのか。

自分の仕事の範囲で見直してみた。普段考える必要はないけど、何のために使うのか、誰が使っているのか、アクセス履歴、更新履歴など参照してみた。

すると、確かに長期間誰も見ていない資料や、今では仕様が変わっているので必要かどうかわからないデータベースなどけっこうでてきた。

それでもマニュアルどおりに私は逐次更新や編集を行っている。そういう業務指示があるからだ。

 

派遣の管理担当の社員に雑談ついでにちょっと聞いてみた。

「あのデータベースって、今ではもう誰も見てないですよね?必要なんですかね?」

 

その社員は、ああ!ってうなづいてからこう言った。

「誰も見てないでしょ。あることも知らないかも。今はね。」

 

「今は?」

 

「そう、今は誰も見てないけど、数年後に必ず必要になる。システムの更新で不具合が出た際に、前はどうだった?って必ず必要になる。クライアントからの質問に答えるときにも、過去の事例や履歴が必ず必要な時がありますよ。」

 

「そうですよね。必要なことなんですよね。無駄ではなかったんですね~」

 

「仕事に無駄はないですよ。そう思えても、実は大事なことがあります。無駄なことだったらとっくにやめてもらってますよ。…えへへ(笑)、面倒くさいことお願いしちゃっててごめんなさいね!でもいつもきっちりやってくれてて助かります!」

 

その方がなんと答えようと、仕事に対する姿勢をかえるつもりはなかったが、確認がとれたことで正直ホッとする気持ちもあった。

 

正直にもうひとつ言うなら、”無駄な仕事”がひとつだけ存在するのも私は知っている。

私たちのためだ。そして、会社のためでもある。

 

派遣社員に担当させる仕事が常に供給できない場合がある。

だからって遊ばせておくこともできないし、帰ってもらうこともできない。

そんな時のための”保険”のような仕事だ。

空いた時間を埋めるためだけの仕事。

 

今の現場ではわからないが、過去に経験した現場では存在した。

派遣社員にわりふった仕事が終わって、「次、何したらいいでしょうか?」と言われ続けるのも社員さんとしてはつらい。いなきゃ困るけど、なんかあった時にはいてほしいけど、たまたま何もお願いしたい仕事がない時もある。

それで、架空の案件の架空の業務を創り出すのだ。

単調だけど、膨大な量があって、簡単には終わらない作業。

期限はないから、空いてるときにゆっくりやってくれればいい、と言われる。

そんな時は、あ、これは穴埋めの仕事なんだなと察し、けして急いで早く終わらせるようなことはしない。

仕事自体は、何に活用されることもなく”無駄な仕事”だろう。でも、これがなければ職場で派遣社員は居場所を失い、派遣社員がいなくなれば、社員も必要なときに頼める相手がいなくなる。派遣社員を維持しまかなうために、架空の案件を依頼する、これは”無駄な仕事”だが、”無意味な仕事”ではない。私たちと会社側、双方にとって重大な意味があったりする。

一例ですけどね。

 

でも、Y子のように、自分のまかされている仕事の内容を徹底的に分析し始めると、思わぬ”パンドラの箱”を開けてしまうことにもなりかねない。

仕事の無駄を指摘し、効率化につとめた結果、自分の手が空くことが多くなり、せっかく用意してもらってた生命保持のためのギミックが消え、そのうち「一番無駄なのは”派遣社員”なのではないか?」ということになり…。

 

そんな想像をしてしまうのは、私だけなのでしょうかね。

 

【契約満了まであと 493日】

 

 

 

 

~異動後にわかる、神か悪魔か~ 旧課長と旧副課長の話。

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毎年4月と10月に行われる定期人事異動は、私たち事務系一般派遣社員には直前に知らされるため、オープンにになってからの数日間は多忙を極めることが多い。

 

自分の所属部署の社員さんが異動の対象となると、諸手続き、残務処理のお手伝いなど、あれもこれもと頼まれることが多くなる。本来決まってる業務の範囲ではないけど、頼める同僚や部下もいない人が多いのか、結局私たちにまわってくることが多い。

 

今回の異動では、企画課では、課長と副課長が対象となった。

すでに現在は異動されているので、旧課長と旧福課長と呼ぶことにする。

 

旧課長…物静かな人という印象。背が高くてしゅっとしてて、物腰もスマート。

仕事には厳しいと聞いていたけど、声を荒げたりすることはなかったと思う。有名大学を出た秀才で、本社勤務も経験している超エリートらしい。英語もペラペラ、エクセルもバリバリ、キーボードはブラインドタッチ、飲み会は電子マネーでスマート会計、すべて無駄なく合理的にやってます、って感じの、でもどこかアンドロイド的な感じ。私はあまり人間味を感じていなかった。

実際あまりお話したこともないし、好きとか嫌いとかも感じたこともない。普通に挨拶くらいはするけど、個人的にお話したことはあまりなかったんじゃないかな。

今回は別の支社に行くけど、いずれまた本社に戻るのでは、と噂されている。

どっちみちもうお会いすることはないだろうし。

課長が変わっても、私の業務にはほとんど何の影響もなさそうだし。

私の好きなこの課にも、特に影響を及ぼすことはなさそう。

そう思って、私も淡々と転出手続きをすすめた。

 

旧副課長…おしゃれでスポーツマンで明るい人。気さくで私にもよく話しかけてくれてたし、異動を知ったときはショックだった。

飲み会の席でご一緒することも多かったし、普段もなにげない雑談、テレビやニュース、芸能ゴシップ、社内ゴシップなど、いろんな話題で盛り上がって笑い転げたことが何度もある。他の派遣さんからも人気で、同じ部署でうらやましい、とよく言われた。

仕事ぶりは、良くも悪くも派手で目立つと聞いている。私の印象は、大きな交渉のときは電話の声が大きくて、自己アピールばればれですよ~?とちょっとハラハラしたり。

この人がいなくなったら、きっと職場は暗くなり、ちょっとつまらなくなるろうな。私も寂しさを感じるだろう。

そう思いながら、転出書類をしみじみながめた。

 

異動前日、課内でこじんまりとした送別会が催された。

旧課長は、管理職の送別会ののち、遅れて参加。旧副課長はなんと欠席。

自分が主役の席に欠席?仕事の都合かな?まあ、コロナの影響もあるし仕方ないかな。

でも最後送別会で会えないのはやっぱり残念に思った。

私は自分のスマホで何枚か写真を撮った。飲み会のときはいつも日記がわりに、参加者がわかるような写真を何枚か撮る。だからこの日も特に送別会の記念というつもりはなかったけど、スマホを向けると皆さんいい顔をしてくださり、いい感じの写真が撮れた。

 

明けて、新年度。

今日から心機一転、まあコロナ禍の中、そうすがすがしい雰囲気ではなかったけど、気持ちだけでも新鮮に、さあやるぞと、オフィスのドアをあけ、自席に向かった。

 

そこで私が目にしたのは…!

 

数々の得体のしれない雑多なものに覆いつくされた私の机。

場所的に私の席に間違いないんだけど、知らない間に席かわって、ここごみ置き場になったのかな、ぐらいの様相になっている。衝撃的な悲しさだった。

いったい誰がこんなことを。そしてなんでみんなこのままにしているのか。

これはいじめとか、いやがらせの類? なにかしたっけ?

 

自席の前で立ち尽くす私の前に、一人の男性社員があわられ、こう言った。

「あの、これいやがらせとかじゃないですよ。時間があるときでいいので処分お願いしますねー。」

そう言い終わると、その人はへらへら笑いながら行ってしまった。

 

転出していった人々が、処分に困ったものを置いていったと、そういうことらしい。

とはいえ、机の上に置く?他人の机の上に。どこかにまとめて置いておく、ならまだわかるけど。しかも、私、別に廃棄物処理係じゃないんですけど。

 

すごい嫌悪感しかなかったけど、仕事の邪魔になるので、まずはそれらの雑多な異物を机から撤去し、オフィスの隅っこに、山にして置いた。

それから、派遣の管理を担当する社員さんに事情を説明したところ、申し訳ないけどあなたにやってもらうしかない、と言われた。

量も多いし、年度初めの行事のため社員が手薄になっているし、それぞれの処分の仕方がよくわからなくて、一番知っているのはあなただと思うので、なんとかお願いします、って。

 

なんでこんなに山ほどの量になっているのかについては、私のその後の聞き込み調査の結果、だいたいわかってきた。

 

社内ルールでごみの分別は厳しく決まっている。回収日も決まっている。ごみの種類によっては、回収日まで各自で保管しておかなければならない。だから、不要だからって勝手に捨てることはできない。

 

転出者の誰かが、行き場のないごみを、私の席のごみ箱に入れた。

それを見て、またほかの誰かが私のごみ箱にごみを入れた。

そうやって私のごみ箱はいっぱいになった。

そのあとやってきた人は、私のごみ箱の脇にごみを置いた。

そしてどんどん私の席のまわりにごみが持ち込まれた。

今度は誰かが、不要な文房具を私の机の上に置いた。

こわれたもの、古いもの、戻し場所がわからないもの。

そうやって私の机の上に不用品の山が出来上がった。

 

同日に異動となる社員は、うちの課では2名だったが、同じフロアではもっといただろう。あの量はとても2名分の量ではない。他の部署からの不用品の持ち込み、遺棄。

 

不用品は、派遣の机の上に置いておけ。適当になんとかするだろう。

 

そんな号令を誰かがかけたのかどうかは知らないけど、誰かがやってるのを見て、右にならえで、あっという間に私の席に不用品の山ができ、転出者のデスク周りはきれいになって、後任者に明け渡された、というわけですね。

会社的にはめでたし、めでたし、か。

 

私は職場を愛しているけれど、私は職場には愛されてないのね…

そんな悲しい気分になりました。

 

しかし、正式に業務として指示された以上、私は不用品の処理を実行することにした。

 

湧き出てくる嫌悪感をおさえながら、まずいったい何があるのか、リストつくってやろうかと思ったけど、時間の無駄のような気がして、黙々と仕分けを始めた。

 

まずは、最初は持っていく気だったのかな、子袋に入れられたゼムクリップ、ダブルクリップ、ステイプラ針たち。なんでか消しゴムのカスもいっしょに入ってる。この時点で挫折するのかな、などと考えながら、袋から出し、仕分けして文房具置き場のそれぞれの場所に戻す。新品と中古が混ざったが、そんなの知らん。

 

それから大量のフラットファイル、クリアホルダー、チューブファイル類。

分解しようとした形跡はある。表紙に貼っていたテプラシールがなかなかはがせなくて挫折したか。きれいにはがせれば新品といっしょに混ぜて入れられたかもだけど、ちょっとでも使用感のある書類ファイリング用品は誰も使いたがらないから廃棄処分。廃棄は金具などを外して分解し、回収日まで各自保管または倉庫の奥で眠らせておくか。どっちにしても異動前日にやるにしては面倒くさいでしょう。で、私の席に不法投棄したんですね。わからなくはないです。

 

あと、メモ帳とかボールペンとか付箋とか、新品同様に見えるものも多数あり。持っていけばいいのに。でもよく見たら、取引先の社名が入った販促品だった。机の中に入れっぱなしで結局使わなかったのね。

通りがかりのある社員さんで欲しいという人がいたので、好きなだけお持ちいただいた。残りは派遣さんたちで分けていいよ、と言われた。

この人、私たちをなんだと思っているのかしら。

そもそもこれ全部ごみだろうが。そういう認識だったんだろうが。

 

でも物に罪はないので、あきらかに未使用のものは、ちゃんと文房具用品置き場の棚に入れておきましたよ。

 

不思議なことに、書類だけはちゃんと自分で処理していったみたいですね、皆さん。シュレッダーでばんばんかけてたものね、確かに。紙廃棄はなかったな。まあそこは派遣にはまかせられない、と思ったのかな。機密書類とかあるもんね。わからなくはないです、これも。

 

マウス、三角定規、フリスク缶、なにかの冊子、とにかくありとあらゆる小物たち、仕分け、振り分け、どんどん処分しました。実際、やってみるとこのくらいはなんでもなかったな、まだ。

 

それより大物!大物がいくつかありました。これ置いてったやつ、悪魔かよ。

私ほんとに思いました。

 

まず段ボールの空き箱。

 

それから靴類。

え?って思ったけど、ほんとに靴。

男性用の革靴、雨靴、安全靴、女性用のパンプス。

すべてはき古したやつね。ほんとは完全にアウト。職場に捨てていくなんて。

持って帰れよ、なんですよ、ほんとはね。

 

あと、衣類。

パーカー、ジャケット、カッパ。職場用だったんだろうけど、これも本来はお持ち帰りでしょ。

 

こられの処理に結局2日間かかりました。そんなにかかると思っていなかったけど、けっこう大変だった。

 

段ボールはつぶしすぎて爪はボロボロになるし、なんで他人のはき古した靴を私が?って思いながら、汚れを落とし、箱詰めして廃棄品回収日がくるまで保管のため倉庫へ移動。

そして、衣類。問い合わせたところ、職場で衣類の不用品は産廃扱いになるのでそのままでは捨てられないとのこと。処分する場合は、こまかく切り刻み、燃えるごみとして出して下さい、とのこと。えーーーーーーっ???っと落胆しつつ、仕方ないので、他の業務の間をぬって、ひたすらチョキチョキ切り刻みました。事務用の華奢なはさみしかなかったので、これは時間かかったなあ。

 

やっとのことで全ての処理を終え、私はきれいになったデスク周りを眺めながら、しばしコーヒー休憩をとろうと、コーヒーマシンでお気に入りのフレーバーを購入し、一息ついた。

でも、その時の気持ちったら、なんというか、疲労と落胆と怒りで悲しくなってしまった。なぜなら、あのたくさんあった不用品の山、の中でもひときわ存在感と異臭を放つ男性用の靴。その収納箱に書いてあった持ち主の名前、それはまぎれもなく、あの旧副課長のものだったから。

 

あの人が、私の席に不用品を置いていった。直接頼まれたならまだよかった。でも、私が退社してからこっそりと私の席に置いたんですね。そしてたぶんそれだけじゃないですよね。ごみ箱の中、机の上に散乱していたものの中には、普段あなたが好んで使っていた事務用品がたくさんありました。あなたに言われて購買部から調達してきたものなので、よく覚えてます。最初は気づかなかったけど、あの靴箱の名前を見つけたとき、そういえば見覚えのある小物が多いことに気づきました。

 

あなた一人の仕業ではないけど、最初の一人は旧副課長、あなただったのではありませんか?

 

その瞬間から、あなたを嫌いになりました。

そして、いろいろ思い出しました。

あなたが有給休暇を取って家族旅行に行き、観光地のお土産を持ってきたけれど、そこに私の分はなかったこと。

私が書いた電話の取次ぎメモ、渡した直後に目の前でいつも破り捨てていたこと。

社内の別のエリアやエレベータ内で会っても、他の社員さんがいるときは私を無視していたこと。

あなたとの他愛もない会話がいつもとても楽しかったので、私は気づかないふりをしていただけかもしれないけど。あなたにとってはしょせん、うまく使って利用するだけの派遣の一人、でしかなかったんですよね。

私は今そう確信しています。

 

新しい職場で彼は今苦戦しているらしい。派手な性格が災いし、仕事の成果が悪目立ちして、彼流の人心把握術もいっさい功を奏さず、孤立無援状態とか。

お気の毒に。私の知ったことではないけど。

 

ごみ処理をしながら、もう一つ気づいたことがある。

旧課長のものと思われるものが一切なかったことだ。

 

異動になる数日前から、旧課長は暇を見つけては書類をシュレッダーにかけていた。私のところにきて、プラスチック製品の処分の仕方など聞いて行かれたこともあった。

あの多忙な旧課長が、そういったごみ類はすべてご自分で処分していったらしい。手伝いを申し出ても、大丈夫です、と言われたそうだ。遅くまで残っていろいろ整理されていたとか。

 

そして、また少し思い出した。直接お仕事でかかわる立場にないので、確かに個人的に旧課長とお話したことはあまりない。

ただ、確認のためちょっとお伺いしたことに対しても、ひとつひとつ真摯にお答えくださったと思う。今思えばほんとにくだらないことを聞いたことがあった。

 

「旧課長、この置物、ここに置いてよいでしょうか?」

 

取引先の創業〇年記念の、微妙なデザインのオブジェが届けられ、どこかに飾ることになったが、課長席の脇のキャビネットの上においてよいか一応聞いてみたときのことだ。適当でいいよ、と言われるかと思ったが、旧課長は立ち上がり、そのオブジェを手に取り、しばしながめて、キャビネットの上の窓側、日当たりいい一角に置いた。

そして、両面テープで底面を固定し、場所がずれないようにと指示された。

 

「日当たりの角度から言って、この場所に置くのが最もきれいで、お客様の目にもつきやすいでしょう。」

 

まじめな顔でそう言われた。

またある時、私は差し入れのお菓子を、モンスター級に強面の部長に配布するよう言われ、つい旧課長に聞いてしまった。

 

「旧課長、部長にお渡しするおせんべいですが、部長は何味がお好みでしょうか?」

 

高級なおせんべいで、限定版でカレー味、チーズ味、が追加されていた。おせんべいは部長の好物なのだが、オーソドックスなしょうゆ味にするか、限定版のカレー味やチーズ味の方がよいのか、ほんとに悩んでしまったのだ。全種類渡すと、ほかの方の分が足りなくなるし。

 

「部長の好きなおせんべいの味、と。」

そうつぶやくと、旧課長はしばし思案ののち、

 

「しょうゆせんべいにしましょう。」

 

と言われた。そのうえで、カレー味のおせんべいを手に取り、

 

「部長が戻られてしょうゆせんべいを手にされたときに、私が、『カレー味もあるようですよ』、と声をかけてみます。これでいいでしょう。」

 

さすが名奉行、名裁き!と叫びたくなるような、賢いスマートなお答えでしたね。

実際は、そんなどうでもよいこと、早く終わりにしたかっただけかもしれないけど。

 

そんなことを思い出しながら、私は自分の席で受信メールをチェックしていた。

すると、旧課長からのメールが届いているのを見つけた。

宛先は私個人あてで、誰かのCCというわけではない。

 

内容は簡潔にこう書かれていた。

 

「先日は年度末の忙しい中、私のために時間をさいていただきありがとう。

 皆さんともう少しいっしょに過ごせるかと思っておりましたが、

 早めに異動となってしまいました。

 送っていただいた写真、いい記念になります。

 ありがとうございました。」

 

そうだった。送別会のとき、スマホで撮った写真を参加した人たちにメールで送っていたんだった。

 

私は、そのとき送ったメールを、送信済みトレイから探し出し、写真をひらいてみた。

 

写真の中には、お酒のグラスを掲げてポーズをとる社員さんたちの中央で、満面の笑みを浮かべる旧課長がうつっていて、その姿はなんだか神様のように神々しく見えて、なんだか泣けてきた。

 

もっと旧課長といろいろお話しておけばよかったなと、思った。

 

 

【契約満了まであと 524日】

 

 

 

 

 

 

 

差別?!社員はテレワーク。派遣は・・・?

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新年度はコロナ禍の中、混乱のうちに始まった。

 

3月の中頃に、4月1日付けで企画課から転出が決まった人たちの送別会だけは、規模を縮小してささっと済ませ、その後の課内は引き継ぎ!席替え!転出者たちがしれっと遺棄していったごみの山!で、バタバタと落ち着かず…。

私まで付随業務が山積みで、毎日あっという間に終業時間がやってくる感じ。 

ソーシャルディスタンスなんて、言った瞬間しか覚えてない、まだ全然身に付かず、でもマスクだけは律儀にはずさず、誰もが窮屈さと、ウイルスへの恐怖と、それでもうつりゆく季節にコロナ明けへの秘かな希望を抱く中、年度末が明け、4月になった。

 

ウィズコロナは経験したことのない不自由さで、このまま続くと頭がおかしくなるんじゃないかと不安になったが、それすら段々慣れていき、数日間は、つい先日まで我が物顔で休憩室を占領していた派遣の諸先輩方の顔も一瞬で忘れ、まさに”自由”を謳歌して過ごした。

新しく来た派遣さんたちは、最初のうちはなかなか休憩室に入ってこない。同期仲間とかたまって、事前リサーチしておいた近場のお店で外食することが多い。ただ毎日外食するのも経済的にキビしいなと感じだすと、示し合わせていっせいにお弁当を持ってくる。で、休憩室でいっしょにランチ。もちろんウェルカムです。もともとみんなの休憩室だし、情報交換もできるし、健全であるし、他愛のないおしゃべりも気分転換になるし。

だけど、そうなるまで、もう少し、この自由を味わわせてくれー!

 

ダンナがどうしたとか、子供の担任がどうしたとか、うちのワンちゃんがどうしたとか。

誰誰のインスタ見た?あのスイーツ買った?食べた?

ねえ、これ知ってる?このお店行ったことある?

知らない?マジで~?いいよ~、ここすごくいいよ~!行ってみな~、今度。

行く?行っちゃう?今日行っちゃう?

 

とか、もうしばらくいいです。

はぁ~。

ゆっくりご飯食べて、スマホ見て、そして少し寝るのだ。

 

 

ところが、そんな夢のような平和な日々も、数日でかき消されることに。

 

新型コロナウイルス 非常事態宣言

 

ほんとに出てしまった。

まわりに感染したという人がいなかったため、どこか実感がなかったが、いったん発令されたとなると、社会はそれに合わせてどんどん動いていく。

非常事態宣言が発令されたら、勤務体制やら業務イベントやら会議予定やら、どうするのか上層部ではとっくに決めてたようで、もろもろのお達しはすぐに発令された。

 

とりあえず、ほとんどの会議、研修、出張、イベント等は延期または中止。

それを周知するメールが山ほど届いた。

また、公的な懇親会はもちろん、職場内での飲み会、食事会も当面禁止。

(楽しみにしていた、課内定例飲み会も当然中止になってしまった…(涙))

プライベートでも不要不急の外出に対しては自粛要請とのこと。

 

そして、大事な勤務のこと。

翌日からの勤務スケジュールが大幅に変更され、業務上差し支えのない社員は全員テレワーク体制となった。

少し前から、Web会議も実験的にやってたし、社員全員にノートPCが支給され、自宅持ち帰りもOKになっていた。書類はすべて電子化されてクラウドだし、連絡もメールで事足りる。ほぼ問題なくスムーズにテレワークに移行。(そんな時代になったんだね。ちょっと昔じゃ考えられないよ…。)

 

私たち派遣社員は、とりあえず翌日は通常どおりの出勤を指示された。

まず社員さんの勤務を調整して、そしてそれから、派遣社員なのね。

そう思って、一応普段通りの業務をこなした。

 

しかしそれから数日たっても、結局私たち派遣社員には何の指示もなし。

企画課は、毎日誰かしらが当番で来てるけど、それ以外は出社してない。

課長も。新入社員も。

 

隣の課を見に行く。

そしたらやっぱり同じ状況。オフィス内のところどころにポツンと座って仕事してるのは、全員派遣社員だった。

 

他のフロアも同じだった。社員なき職場では、ほとんど仕事もないのに、電話当番だけやらされてるよー、と営業部の派遣の子があきらめ顔で笑ってた。

 

私たち、普通に会社来て、普通に仕事して、普通に家に帰ってる。

非常事態なんじゃ?

バス、電車、混んでるよ?駅もめっちゃ混雑してた。

今さらだけど、ほんとに怖いって思った。

 

さすがに疑問と不安を抱きながら、それでもいつも通りに出社したある日、同じ派遣社員のT子が私に走り寄ってきた。

 

「私、もう我慢できない!」

そう叫ぶと、彼女はかなり興奮した様子で私の手をひき、給湯室にひっぱりこんだ。

 

「なんで、私たちだけ普通に出社してるの?

 時短もなく、交代制でもなく、今まで通りじゃない?

 おかしいよね?なんで私たちだけこんなリスク背負わすの?

 もう我慢できないよ。こんなの差別じゃん!

 私、Yさんに言うからね!」

 

Yさんは、私たちの所属する派遣会社の担当営業の人。

この人に相談して、何か改善された試しはないけど、今回ばかりは私もT子の気持ちはよくわかる。

確かに、私たちが普通に通勤しているのは、この状況下ではリスクを伴うと思うし、社員をテレワークでリスク回避させても、私たち派遣社員の誰かが新型コロナウィルスに感染したとしたら?感染したことに気づかないまま出社し続けたら?

ウィルスは社員か派遣社員かなんて選ばない。

会社にいる人全員平等に、二次感染の可能性がある。

 

T子は、派遣会社に恐怖と怒りを、Yさんでなく、サポートセンター経由で訴えたらしい。

その頃、ネットやテレビでも、派遣社員だけ出社要請されてる職場があると、問題提起されているのを何度か見かけた。

 

その後、T子の訴えが功を奏したのか、世論に反応したのかは定かではないけど、ハラスメント問題には敏感なうちの会社、これも一種のハラスメントととらえたのかな?そう騒がれるとまずいと思ったのかな?とにかく、私たち派遣社員も全員が自宅待機勤務を指示された。

 

これは社員のテレワークとは異なり、完全にお休み。仕事はしない(できないし)。

当面の間は自宅待機とし、会社都合の休業のため有給(休業補償をおこなう)扱い。

そのかわり極力外に出るな、という指示も下された。まあ、自宅待機とはいえ、こんな時期に遊びに行きたいところもないけど。

 

元々インドア派の私は、自宅待機はまったく苦にならない。

でも、なんだかんだ言っても居心地のいい企画課という私の居場所が、ときどき無性に恋しくなったり、もう少し自由なランチタイムを味わっていたかったなあ、と少しもったいないような気持ちになったり、私がいなくても、ちゃんとカレンダー誰かがめくってくれるかな、と心配になったりしております。

 

【契約満了まであと 528日】